夏休み

「じゃあ皆、いい夏休みを」

 先生の言葉尻に被せる様にチャイムの音が校内に鳴り響くのと同時に、ぐわりと教室の空気が揺らめいた気がした。一斉に椅子を引く音が鳴り響いて、立ち上がった生徒たちは自分の友人のところへ向かう。これから先1ヵ月以上の予定について話す横顔はどれも眩しい。自分の席にも友達が向かってきているのを見て、もようやく心から実感した。
 夏休みがやってきた。

 早速友達とたくさんの予定を作ったは、ほくほく気分で学校からの帰り道を歩いていた。明後日はプール、来週の水曜は花火、土曜は家族でバーベキュー。そしてその先は、もっと色々。何しろ夏休みはうんと長い。考えるだけでワクワクして、汗が止まらないままアスファルトの道を歩くのも全く苦じゃなかった。今年の夏は馬鹿みたいに熱いけれど、大好きな友達たちと一緒なら平気な気がする。
 浮かれた気分で一人歩く道、少し先に自分と同じ制服を見た姿が見えてふと立ち止まる。明るい色をした頭に誰なのか予想がついて、は小走りでその男の子の方へと向かった。

「花沢くん!」

 の呼びかけに振り返った顔は予想通りの人物で、ちょっとだけほっとする。
 前にいたのは同じクラスの花沢輝気くん、通称テルくんだった。クラスや学年どころか学校の人気者で、勉強もスポーツも万能な文武両道の優等生。裏では不良まで味方につけてるって噂の、花沢くん。

さん」

 花沢くんはを見て挨拶するように軽く手を上げた。
 花沢くんとは今年初めて同じクラスになったのだけれど、正直なところ最初の内は彼のことがあんまり好きではなかった。なんでも簡単にこなして人当たりが良いけれど、どこか人を見下しているような雰囲気が言動の端々から漂ってきていて好きになれなかったのだ。
 でも、春を過ぎて少ししてから彼は変わった。一体何があったんだか分からないけど奇抜な髪形で学校に来た、その日から。どこか雰囲気が柔らかくなっただけではなく人を馬鹿にしたような目をすることも無くなって、それまでつるんでいた人気者だったり優秀な生徒達以外にも皆と関わるようになった。
 何が起きたのかは分からないけれど、花沢くんが変わった直後にあった席替えで隣の席になったこともあっては彼とよく話すようになっていた。その後2回ほど席替えがあったので今の席は隣同士ではないけれど、クラスではよく話す方だと思う。謎の奇抜な髪型から普通の男の子らしい短髪になった花沢くんの頭を見ながらはそんな事を思い返していた。

「花沢くんこっちの道通るんだ! 知らなかった」
「ああ、今日は買い物してから帰ろうと思って。いつもとちょっと違う道歩いてるんだ」
「へえー」

 今まで見かけたことが無かったから納得して頷いた。に合わせて立ち止まっていてくれた花沢くんの隣に並んで2人で歩き出す。
「今日から夏休みだね! すごく楽しみ」

 蝉の大合唱をBGMにそう言うと隣を歩く花沢くんなんとも言えない顔をした。

さんは夏休み好きなんだ」
「うん。いろんなところに行ってめいっぱい遊ぶつもりだよ」

 浮かれたにそう、と短く返す横顔は硬い。ここまで来ればなんとなく彼の思うことに想像がいって、少し悩んだ後に思い切って口にした。

「花沢くんは夏休み嫌い?」
「……あんまり好きじゃないな。長いばっかりで、何をすればいいか分からない」

 人気者の彼がそんなことを言うなんて思わなくて、びっくりしたは思わず立ち止まりそうになった。小さな声で呟いて所在なさげに俯く姿は今まで見てきた花沢くんからは遠くかけ離れている。

「ごめん、なんか変なこと言っちゃったね」

 こめかみから伝う汗をぐいと強くぬぐって花沢くんは顔を上げた。なんでもないような口調だったけれど、何も言えないにそう謝って苦笑する顔はひどく寂しそうで。
 完璧に見える彼の中にも、黒くくすぶる何かがあるんだろうか。もしかしたらが前に花沢くんに対して感じていた嫌な印象はそのせいだったりするのかな。もうは花沢くんが嫌な奴だなんて思っていないけれど、彼が変わった今もその何かは未だに心の中に巣食って花沢くんを苦しめているんだとしたら。
は、ただのクラスメートだ。花沢くんと友達だと胸を張って言える仲かは分からない。本人がのことをどう思っているかも。けれど、彼が悪い奴じゃないってことを知っている。だから、

「……あのさ、明後日って暇?」
「明後日?」
「うん、友達とプール行くんだ。大人数で、女子も男子も一緒だよ」

 だから、そんな寂しい顔はしないでほしいって思うのくらい許してほしい。 

「花沢くんも一緒に行かない?」

 驚いた顔でこちらを見る彼に笑って、頭上に広がる青い空と入道雲を指さした。
「夏休みは楽しいって、花沢くんにも思ってほしい」

 暑い季節は始まったばかりだ。
 なんだか泣きそうな顔で頷く花沢くんを見て、夏休みが終わるまでには胸を張って彼の友達だと言えるようになりたいな、なんて思った。