朝顔

「影山君!」

 雲一つない真っ青な空。容赦ない日差しの照り付ける中、生徒会室へ向かおうと校内を歩いていたところに名前を呼ばれ、律は足を止めた。声のした方を見ると同じクラスの女子生徒が花壇の前に立っている。半袖の夏服から伸びる白い腕は真っ直ぐに上がってこちらに手を振っていた。
 まだ集合時間までには少しある。そう思って律は進む方向を変え、揺らめく陽炎の中に立つ彼女の方へと向かった。

 近づくとは腕を下げて軽く律へと挨拶した。頭の上には麦わら帽子が乗っている。

「おはよ! 影山君は生徒会?」
「うん、おはよう。さんは……そうか、緑化委員だったっけ」
「うん!」

 手にある大きなじょうろから合点がいってそう言うと、はにこにこと笑いながら頷いて水やりを再開した。花壇の土が水を含んで黒く変わっていく。放物線を描くシャワーの隙間にかかる虹がきらきらと眩しい。

「暑い中お疲れ様」
「それは影山君もじゃない。そっちこそお疲れ様」

 今は夏休みだ。生徒会と緑化委員、仕事は違えども休日出勤をしていることに変わりはない。自分は週に一度ほどしか学校に来なくていいが、彼女はきっともっと頻繁に来ているのだろう。正直なところ頭が下がる。花壇で咲き誇る花々がたくましく成長を続けていられるのは、のように人知れず世話をしている人間のおかげなのだろう。

「生徒会は今日は何の会議なの?」
「いや、今日は会議じゃなくて大掃除。机と椅子を運び出して全部綺麗にするんだ」
「大変そう……! 頑張ってね」
「ありがとう」

 の方が炎天下での作業な分大変そうだが、全く嫌そうには見えない。水やりをする姿は本当に楽しそうだ。心底この仕事が好きなのだろう。降り注ぐシャワーを浴びる花たちもきっとこれほど大事に面倒を見てもらえて幸せなはずだ。少しずつ花壇を移動するの後ろについて行きながらそんなことを思っていたところで、思いがけない植物が目に入って歩みを止めた。

「うちの花壇、朝顔なんてあるんだ」

 まだつぼみのそれはつるを高く伸ばし支柱に巻き付いている。下の方には葉がわさわさと付いていて、見るからに元気いっぱいといった感じだ。小学校の自由研究を思い出させるような植物に懐かしさを覚えた。毎年夏休みになると兄と2人で鉢植えを家に持って帰り、母を困らせたものだった。

「うん、朝顔いいよね。夏っぽいし、ぐんぐん成長するから見てて楽しいよ」

 こちらの言葉にうんうんと頷いてからくるくると丸まったつるの先を引っ張って伸ばし、は「そうだ」と声を上げて律の方を見た。

「影山君知ってる?朝顔って、双葉の頃にどんな色になるか大体予想できるんだよ」
「そうなの?」
「うん! 茎の色で分かるんだ。白かったら白とか黄緑、濃い色だったら赤や紫が咲くの」

 つぼみを指差しての説明に聞き入った。「双葉の形から花の形も分かるんだよ」と教えるは生き生きしている。丁寧な説明は分かりやすくて、今まで「よく見る花」程度の認識だった朝顔がなんだか急に親しみやすく思えた。

「初めて知ったよ。さんは植物に詳しいんだね」
「うん、好きだからね」

 屈託のない笑顔は純粋に眩しい。何かをなんのてらいも無く、心から好きだと言えるはどこまでも真っ直ぐだ。
羨ましい、と思った。

「じゃあ、教えてくれたお礼に僕からも1つ」

首を傾げたの首筋から一筋汗が流れ落ちる。なんとなくそれを目で追ってしまう自分に気付いて慌てて視線を逸らし、朝顔を指差した。
「朝顔は夏のイメージがあるけど、実は秋の季語なんだよ」

 先程のと同じように細いつるの先を引っ張ってそう言うと、彼女は目を丸くした。

「知らなかった! 影山君は物知りだね」

 嫌味や大袈裟な響きはどこにもない、シンプルな称賛。上へ上へと成長する朝顔のように真っ直ぐなの言葉に少し照れそうになりながら「ありがとう」と答えた。自分も彼女の素直さを見習えたら良い、と思った夏休みの午前10時。