夕立ち

 なんだか空模様が怪しいな、と思っていた矢先に雨が降ってきた。夕立だ。容赦なく降り注ぐ大粒のしずくが痛いくらいに肌を叩く。折り畳み傘を持っていなかったは急いで一番近くの店先に逃げ込んだ。
 商店街を歩いていたおかげで軒先のあるお店はすぐ近くにあった。少し服とカバンが濡れてしまったけど、大きな被害はない。ありがたくお邪魔した軒下にはたくさんの鉢植えが置かれている。ほんの少しだけ顔を出して見上げた軒下テントには『ニコニコ生花店』と書かれていた。可愛い名前のお花屋さんだ。鼻先を雨粒に叩かれて慌てて顔をテントの下に戻した。色とりどりの花々がかわいらしい。不幸中の幸い…とも少し違う気がするけれど、偶然入ったのが花屋さんで良かった。なんだか心が癒される気がして、鉢植えを見ながら思わず微笑んだ。

 雨はどれくらいで止むだろうか。夕立は強い割にあっという間に終わるものだから長続きはしないはずだけど。もう今日の用事は終わったのでそれほど急いでいないけれど、お店側としてもずっと居座られるのは嫌だろう。店内の方に振り返ると若い男の人と目が合った。お花模様のエプロンをしているし、きっと店員さんだろう。申し訳ないという思いを込めて頭を下げた。
 降られた瞬間は舌打ちをしたい気分だったけれど、濡れずに済む環境で見ていると夕立も案外悪くない。熱気を含んだアスファルトの濡れる匂いは強く夏を思わせる。中々風流だなあ、なんて思いながら灰色の空を見上げた。

「あの」

 遠くの方で稲妻が光るのを見て興奮していたところに声をかけられて振り返る。後ろにいたのは先程目のあったお兄さんだった。色素の薄い髪に眉の無い顔が少し怖そうな雰囲気だけれど、その手には真っ白なタオルが握られていた。

「良かったらどうぞ」
「わ、ありがとうございます! すみません、お邪魔しちゃって」

 軒下をお借りしているだけで申し訳ないのに、と思いながらもありがたくタオルを受け取って濡れた腕と顔を拭いた。ふかふかだ。

「ごめんなさい、弱まったらすぐ出ていきます」
「気にしないでください」

 無表情だけどやっぱり優しい。お花屋さんに勤めてるんだし、きっとお兄さんは花が好きなんだろう。花が好きな人に悪い人はいないはずだ。は名前も知らない店員さんに勝手に親近感を抱き始めていた。

「タオル洗って返しますね」
「いや、いいですよそれくらい。店で洗う」
「いえいえ、こうやって軒下にお邪魔させてもらってるだけでありがたいのにタオルまで貸してもらったんですから。それくらいさせてください」

 食い下がるにお兄さんは数秒後、無言で頷いてくれた。思わずほっとして笑顔になる。

「明日返しに来ますね」
「……明日じゃなくて、明後日じゃダメですか」
「え、明後日でも全然大丈夫ですけど」

 予想外の言葉に首を傾げる。ちゃんと軒下テントに書かれた文字を確認しなかったから分からないけど、明日は定休日なんだろうか。

「明日は、僕は出勤しないので。明後日はいます」

 なるほど、と思って頷いた。お兄さんが貸してくれたタオルなんだから、お兄さん本人に返すのが道理だろう。「分かりました」と言おうとしたところでお兄さんの顔色がおかしい事に気付いて固まった。
 色白の肌が上気している。顔が、真っ赤だ。

「お、お兄さん、大丈夫ですか!?」

 覗き込むを避けるようにお兄さんは顔を逸らす。

「……結構勇気を出したつもりだったんだけどな。貴方にまた会いたいから明後日来てほしいって言ったんです」

 片手で顔を覆ってのぼそぼそとした呟きに一瞬ポカンとした後、その意味を把握して一気に体温が上がった。

「さっき、鉢植えの花を見て笑った顔がかわいいなって思ったんだ」

 口元を抑えたまま、ほんの少しだけこちらに視線を戻しての言葉にまで真っ赤になる。もう濡れてなんかいないのに、顔をそのまま見せるのが無性に恥ずかしくて、少し湿ったタオルで顔を隠した。布越しにも感じる熱い視線はきっと自惚れではない。
 どうしよう、もお兄さんのことが気になり始めたなんて言ったら軽い女だと思われるだろうか。