「わ、蛍だ……!」

 夕餉後、自室の前の縁側で涼んでいたところに目の前の池の上を緑色の光が滑るのが見えて声を上げた。ちかちかと闇を照らす光は一つではない。複数の蛍が暗い水面をゆっくりと飛ぶ様は夏の夜の風情を詰め込んだようだ。
 隣で同じように涼んでいた近侍の小烏丸さんも池の方へと目をやる。

「蛍は初夏に見る気がしてたんですけど、8月でもいるんですねえ」

 の呟きに彼は無言で光を見つめ、ふいに、すいと手を伸ばした。離れたところを飛んでいた蛍が魔法のように近づき、一匹が指先に乗るのに思わず小さく歓声を上げる。
 指に乗った蛍をじいと見てから彼は口を開いた。

「これはヘイケボタルだな」

 馴染みのない名前に首を傾げる。蛍と言えばゲンジボタルのイメージがあるのだけど。

「初夏に見る蛍はゲンジボタルだが、この時期に成虫になるのはヘイケボタルだ」
「へえ……知りませんでした」

 特に気にしたことは無かったけれどゲンジが“源氏”を指すならば平家の蛍がいるのも道理かもしれない。ゲンジとヘイケはどう異なるのだろうか。素直な疑問を口に出すと彼は薄く笑っての顔へと小さな光を近づけた。

「ヘイケボタルはゲンジボタルと比べて小ぶりだが、よりたくましい」
「たくましい?」
「ああ。蛍というと綺麗な水辺でしか生きることができぬように思うだろう。だがヘイケボタルは水の汚染に強く、多少汚れた水場でも生き延びるのよ」
「そうなんだ……」

 説明を聞きながらまるで小烏丸さんのようだ、と思った。小さい体ながら、強くたくましい。子烏丸さんは刀本体も人間としての姿も太刀の中では小柄であれど、戦いにおいては鬼神のごとき強さを見せる。彼が平家の家宝であったことも合わせて、ヘイケボタルはぴったりだ。
 しばしの間、二人無言で指先の蛍を見つめた。もっとも、の視線は蛍と小烏丸さんの間を行き来していたが。普段から彼は現実離れして美しいが、夜の闇の中淡く瞬く光が横顔を照らす様は更に幻想的で見惚れるほどに美しいのだ。

「あ、」

 指先にいても相手を見つけられないと悟ったのか、見つめ続けるたちに居心地の悪さを覚えたのか。蛍は池の方へと飛んで行った。それを追うように視線を前に戻したが、いつの間にか他の光も消えている。儚いものだからこそ美しいのかもしれないけれど、どこか物悲しい。

「行っちゃいましたね……」

 肩を落とすの頭を先ほどまでヘイケボタルが止まっていた手で優しく撫で、小烏丸さんは静かに呟いた。

「蛍はひと夏で消えてしまう……だがこの父は夏が過ぎても、幾年を重ねても、変わらず主の傍にあろう」

 艶然と微笑む姿は美しい。神秘的でありながら圧倒的な存在感がそこにある。安心させてくれるようにゆったりと頭を撫でてくれる彼に、も笑った。

「とっても心強いです」

 願わくば、いつまでも彼に見合う主であれますように。