怖い話

 夏特有の心霊番組がテレビの画面に映っている。もう随分前の話だが、表舞台で活躍していた頃は私もよく出演したものだった。芸能人たちの体験談、心霊スポットで起こる怪奇現象、子供たちの間で広がる怖い話。大衆がこういった安っぽい話を好むのはいつの世も同じなのだろう。8割くらいは嘘やデタラメで、残り2割ほどが私のような霊能力者が出る幕になるような本当の心霊現象だ。だが、今回の番組には本物らしき映像は見当たらない。私も、隣のも無感情に画面を見つめていた。
 見ているうちに飽きたのだろうか、少しするとは無言でテレビの電源を消した。部屋には無音が満ちる。しばらくの間何をすることもせず、ただ彼女は黙ってそのままソファに座っていた。隣に座る私が覗き込んでもその表情は変わらない。当たり前のことだが。

「君、少し痩せたんじゃないのか」

 下から見た細い横顔は少し歳をとっただろうか。返事が返ってこないのなんて分かりきっていて声をかけた。私より一回り年下のは私が生きていた頃と変わらず可憐だが、それでももう決してうら若い乙女ではない。一番美しい時期をどん底に落ちた男に捧げ、その男が死んでからも誰にも目を向けずにいる。馬鹿な女だ。馬鹿な男に惚れるから、こんなことになる。そして馬鹿な男は、生きている内にはろくに想いに応えてやらなかったくせに、死んだ後に未練を残してこうしてひっそりと彼女の横にいる。本当に馬鹿な話だ。
 しばらくしてからソファを立つと、はリビングから寝室に続くドアの方へと向かった。少し早い時間だがもう寝るのだろうかと思ったのだが、彼女はドアの前に立ったまま一向にドアノブを掴む様子を見せない。何がしたいのか分からず首を傾げたところで、先程までテレビに映していた番組の中で話されていたオカルト話の一つを思い出した。

 中に誰もいないと分かっている部屋のドアをノックして呼びかけると、何か悪いものを呼び込むことがある。ノックするという行為は、返事を待つことと同義だ。中に誰かいるかもしれないと思ってするそれは、何者もいないはずの場所にこの世ではないどこかから招かれざる何かを連れてきてしまう。返事が返ってきてはいけないはずなのに、返ってきてしまう。
 さっきの心霊番組のせいで、昔からよく聞くそんな話を彼女は実践しようとしているんじゃないか。その考えに至ると急に焦りが私を襲った。冗談じゃない。ああいう話は、ある程度何かが起きているから長い間語り継がれるんだ。必ず悪いことが起きるわけではないが、可能性は決して低くない。何かが来てしまっても私が追い払えるが、一度憑かれた人間は“憑かれやすい体質”というものに変わりかねないのだ。そんなことは、絶対にあってはならない。私以外の何かが憑くなんてことは。何か、何かして彼女の気をドアから逸らさなければ。
 ポルターガイスト現象で何かを床に落とそうかと思って辺りを見回したところで、しんとした部屋に軽いノックの音が2回響いた。思わず動きを止める。遅かった。
 数瞬息を詰めて待つが何も悪いものが近づく気配はない。どうやら運良く何事も起こらずに済みそうだと安堵にため息をつこうとした、その時。

「啓示さん」

 その口から零れ落ちた名前に固まった。ささやくように、祈るように。そして縋るように呟かれた自分の名前に、どうしようもなく痛みが走る。馬鹿な女め。いつまで、一体いつまでこんな薄汚い男の影を追い求めるつもりだ。最後には殺し屋まがいのことまでして、今は世の中に復讐しようと悪霊に成り果てたこんな男に。

「……すまない」

 今更な呟きは届かない。
 ひたむきな愛情を真正面から受け取ることができていれば、こんな現状は変わっていたんだろうか。ドアの前に座り込んで声も無く涙を流す彼女を抱きしめることができればどんなにいいか。けれど私はもう、その資格を持っていないのだ。