間に合わなかったヒーロー

「髪、お切りになったんですね」
「だいーぶ前にな。イメチェンいうやつや、似合っとるやろ?」
「ええ、とても」

 そう言って静かに目を伏せる姿はどこまでも綺麗だ。眉を下げて笑う姿が好きだった。楽しそうに笑う顔は、もっと。
 そうやって笑いながら、長い金色の髪の合間から隊長羽織の五の漢字が見えるのが好きだと教えてくれたのは、いつのことだったか。

「お前も切ったんやな、髪」

 自分の髪をが好いてくれるのと同じぐらい、彼女の髪が好きだった。言葉と一緒につい伸ばしそうになる手をなんとか押さえ、自分の前髪に手をやった。もう昔のようにすぐ触れるほど近くに立っているわけではない。

「はい、切った方がいいと言われまして」

 言ったのは誰か、こちらに帰ってきてすぐ聞いた話から心当たりを思うと同時に胸が締め付けられる。無意味に口を開け閉めして散々迷った挙句、結局それを口にしないわけにはいかないと気付いた。

「……結婚、したんやてな」

 声に出すのと同時にその言葉は恐ろしいほどの重さを持ってのしかかった。胸を侵食する灰色の濁りが、明らかに色を変えた空気が、それを紛れも無い真実だと伝える。泣き顔にしか見えない下手糞な苦笑をして、彼女は頷いた。

「以前から親にいい加減に身を固めろとせっつかれていましたので、昨年夫を持ちました」
「まあお前ん家貴族やからなあ、しゃーないわ」

 軽く手を振って、目を逸らした。なんとも思っていないように見えればいい、と無駄なことを思う。昔から彼女にはうまく嘘がつけなかったのに。
 こちらの気持ちなど分かっているのだろう。くしゃりと表情を崩し、唇の端を噛んで彼女は俯いた。

「申し訳、ございません」

 搾り出された声は震えていた。

「……アホか、なんで謝んねん。俺は百一年前に死んだ思われとったんやからお前が謝ることなんもないやろ」
「しかし……!」

 絶望的な声と共にあげられた顔は深い後悔と悲しみに染まっていた。
 本当に、謝ることなどないのだ。百年待ってくれただけでも、自分は感謝してもしきれないというのに。

「せやけど一年……一年、か」

 ほんの少し早く自分がこの場所に戻ってきていれば、彼女は―― そこまで考えたところで思考を強制終了した。実現し得ないことを思っても、何も変わりはしない。
 一度上げた顔を先程より深く下げ、彼女は両手で顔を覆った。

「ごめん、ごめんね真子……!」
「……謝るな言うとるやろ」

 泣き崩れる姿をいくら愛しく思おうと、その涙を拭う権利を自分が持つことはこの先決して無いのだ。