邪気無き悪意は透き通る

※探鉱者背景推理ネタバレ&自己解釈有り注意

 大きな館は、人の気配が無いと寒々しい雰囲気が普通の家よりもずっと強くなる。ほとんどの人間が寝静まっている時間帯の荘園の廊下は、ひどく不気味で余所余所しい。そんなところで誰か自分以外の人間に会えば、ほっと心が温まるはずだ。……きっと。


「あら、こんばんはノートン」

 喉の渇きを潤そうと深夜キッチンにやってきたは、先客の姿を認めて声をかけた。

「ああ……こんばんは、さん」

 後ろから声をかけられて、男──ノートン・キャンベルはゆっくりと振り返る。と目が合って、少しぎこちない笑みが彼の顔に浮かんだ。

「ノートンも水を飲みに来たの? それともお夜食でも?」
「俺も水だよ」

 はは、と笑う男の声は低い。は棚から自分のコップを取り出し、中へと水を注いだ。透明なガラスへと口をつけて喉を潤した後、昼間のことを思い出して、彼女は少し離れたところに立っているノートンを見た。

「そうだ、今日は助けてくれてありがとう」
「……ああ、いや。お礼を言われるほどのことじゃないよ」

 とノートンは、昼間に行われたマッチに共に参加していた。のチェイスとノートンの救助、そしてもう二人の解読がうまく噛み合い、四人全員がゲートから脱出できたマッチだった。

「そんなこと言わないでよ。が風船で吊られたときの磁石を使った救助、素晴らしかった!」

 大袈裟なくらい弾んだ声音でのの台詞に、またノートンは曖昧な笑みを返した。
 ノートンとは、普段そこまで会話をするわけではない。まったく口をきかないわけでもないが、そもそもノートンが社交的な人間ではないのだ。も際立ってお喋りなわけでもなし、こうして二人きりで会話をするのは珍しい事だった。

ね、ずっとあなたは死にたがりなんじゃないかと思ってた」

 それまでと同じ世間話をするような声でのの言葉に、ノートンはぴしりと固まった。何度か呼吸して、それからゆっくりと、とんでもない事を言った女を伺う。ノートンの目に映るは、面白そうに口角を上げていた。

 の言っていることは、その実おかしくない。毎度毎度、ノートンがマッチで取る行動はリスクだらけだ。遠くにいるハンターを数mも引っ張って、自分へと注意を向けさせる。他のサバイバーを追っているハンターを磁石で自分へと引き寄せて、強制的なチェイスへと持ち込む。暗号機解読のタイミングを逃すことは他の者より少し多く、ひいてはハンターに居場所を知られることも増える。今日の救助だって、一歩間違えば彼が代わりに捕まっていてもおかしくなかった。
 しかし、自分で言っておきながら「でもね」とは続ける。

「気づいたの。本当に死にたがりなら、こんな場所に来るはずがないって」

 荘園に集まる者は、皆何らかの望みを持ってこの延々と続くゲームに参加している。手の込んだ自殺がしたいのなら、こんな場所へと来ずとも良かった筈だ。

「……何が言いたい」

 最早ノートンは笑みを浮かべていなかった。その声音に、女性に対する配慮や遠慮、最低限の穏やかさは無い。彼はを、自身の存在を脅かしうる存在として認識していた。
 は敵意をはっきりと示したノートンに少しもたじろぐ様子を見せない。むしろ、笑みを消した彼と対照的に、その細面に微笑を浮かべた。

「あなた、自己犠牲で罪の意識から逃れようとしてるでしょう」

 はノートンをよく観察していた。彼は他のサバイバーから礼を言われる度にほんの少しだけ安堵したような表情を浮かべ、その一瞬後に自嘲気味に笑う。感謝されることに純粋な喜びを持てない、何か歪んだ感情の発露。

「これだけ人を助けているのだから以前の罪は帳消しになっているだろう、これだけ人のためになっているのだから贖罪は果たされているはずだ……そう思って、あなたは危険な行動ばかりをとるんでしょう」

 すらすらと紡がれた長い説明に、ノートンは持っていたコップをキッチン横のテーブルの上に置いた。乾いた唇を舌で湿らせ、油が切れた人形のようにぎこちなく口を開け閉めする。

「何、を」
「──  鉱山」

 ガツン、と殴られたような衝撃。の口から囁くように落とされた場所の名に、ノートンはその場の一切が音を失ったような感覚に陥った。一瞬の後、激しい低い音が耳の奥底で鳴り響く。心音が耳の中で響いているのだ。くたびれた服の奥、肋骨の中で心臓が早鐘を打っていた。

「父が働いていたの。落盤事故で死んだわ。……あなたも知っているだろうけど」

 目眩がして、ノートンは火傷で爛れた目元を押さえた。ふらつきかけて、テーブルの端に手をつく。
 何故考えてもみなかったのだろう。過去の亡霊が、そのままの姿でやってくるとは限らない。死んだ男の娘になって現われることは、何ら不思議ではない。

「死ぬ直前に話していたわ。金になりそうな話があるって」

 新しく炭鉱に来た男が、その炭鉱の奥には何らかの財宝がある筈だと話している。彼一人では難しいかもしれないが、自分達の力を貸してもらえれば、きっとその場所にたどり着くことができる筈だと。少々犯罪まがいの事もするかもしれないが、それがなんだ? 洞窟の奥には大勢で分け合っても余りある程の財産が待っている。爆発物を盗んだって、得た金で新しく買って戻しておけばいい。誰も気づきやしない。
 その男は決して人の上に立ったりするような奴には見えなかったが、どうにも話がうまかったらしい。最初は取り合っていなかった仲間たちも、次第にその男が呟くように落とす一攫千金の話に魅了されていったと。
 そう話していたの父もいつしか計画に参加することを決めて、結局その鉱山で働く労働者全員での危険な発破作業が行われた。結果は、もノートンも知っている。ほぼ全員が死んだ。生き残った者は、ただ一人。そして、その男は、まさにこの場にいる。
 歌うように、は言った。

「一体どれだけの罪を犯したんでしょうね、その若い男は」
「おっおれっ俺のせいじゃっ、俺だけのせいじゃない!!」

 悲鳴のような声がノートンの口からこぼれ出た。ずっと黙っていた男の声は、今や焦燥と恐怖に満ちていた。精悍な顔には冷や汗が滲み、傷の無い方の頬からは血の気が引いている。パニックに陥った彼は自分が何を言いたいのかもわからないまま、ただその場で自分の喉を絞め上げようとする空気から逃れるがごとく言い訳を続けた。

「そりゃあ、そりゃあ俺も上手くいったら一人占めして逃げようって考えちゃいたけど殺す気なんてなかった! 全部偶然で、そもそも計画に参加してた時点で皆ある程度の危険なんて分かってたはずだった! 分かってなかったならそれは俺のせいじゃない、認識不足の奴らが悪いのさ! それっ、それに炭鉱員のままずっと貧しい暮らしをするくらいなら死んだ方がマシだったさ、あいつらだってきっとっ、」

 壊れたおもちゃのように話し続けていたノートンは唐突に言葉を途切れさせた。彼が話すのを黙って聞いていたと目が合ったのだ。ゆるりと細められた目は、じっとノートンを見つめていた。

「誰かを本気で憎んだことはある?」

 静かな声でが言うのにノートンはびくりと震えて、開けっ放しでいた口を閉じた。心臓の鼓動は激しさを増している。女は一度顔を俯けて、ゆっくりと面を上げる。合った目に浮かぶ、底知れぬ昏い光に本能的な忌避感を覚えて、ノートンは一歩後ろへと後ずさった。

「そいつの顔を見るだけで吐き気がするの。胃の奥から酸がせり上がって、喉が焼けるの。そいつの口が動いて息を吐き出すのがたまらなく腹立たしいの。声を掛けられるたびに太い喉を絞め上げてやりたくなる。この世からそいつが居なくなったらどんなに幸せだろうって、そんな夢想ばかりをする」

 滔々と紡がれる怨嗟に、背中を伝わる汗が冷えた。よろけた時に机を掴んだ手が震えて、体の芯まで恐怖が満たす。恨まれている。憎まれている。
 自分より一回りも小さい女に相対して、逞しい肉体を持つ男は戦慄していた。

「本当にずっと、殺してやりたくてたまらなかった……だから、あなたには感謝しているの」

 予想だにしなかった言葉に、ノートンは一瞬思考を失った。

「…………え?」

 呆けるノートンを余所に、は追憶に浸るような目つきをして、どこか遠くを見ていた。

の父親はクソ野郎だった。死んだ母に苦労ばかりかけて、が子供の頃から母やに暴力をふるって……生きる価値の無い豚野郎だった」

 先程までと同じ憎しみが女の声にこもる。は歯を食いしばり、手の関節が白くなる程に拳を握り締めていた。少しの間黙った後ぱっと上を向き、にっこりとノートンに笑いかける。その唐突な変化に、ノートンは体をのけぞらせた。

「だから、本当に感謝しているの。みたいなちっぽけな女じゃ、あの図体ばかり大きい屑を殺すことはできなかったから。本当にそうしてやりたかったけど、毒を買うお金も無かったから……あなたがの願いを叶えてくれて、心から感謝している」

 ノートンは、もう何が何だかさっぱり分からなかった。自分を殺すために荘園に来たのかと思った女は、むしろ自分に感謝していると言っている。どう答えればいいのか分からず、ただ黙ってその澄んだ音で響く声を聞くことしかできない。

「ああでもきっと、豚野郎とは違う、素敵な人もいたのでしょうね。恋人と暮らすために一攫千金を狙う男や、家族を食わせるために危険な計画に乗った父……」
「っ、」

 一転して悲しげなトーンで続けられた言葉に酷い吐き気がした。もうずっと前に置き去りにしてきた過去が、また自分を飲み込もうとしている。贖罪はまるで済んでいない──贖罪など出来ようもないことを思い知らされている。

「……そういった人達がもう二度と帰ってこないことを嘆き悲しむ人々、そんな女子供もいるのでしょうね」
「……何が望みなんだい」

 震える声で言ったノートンに、は驚いたように瞬きした後、ころころと笑った。朗らかで美しいその笑い声が、彼には悪魔の哄笑のように聞こえた。

「だから、言ってるでしょ。、あなたに復讐する気はこれっぽっちも無いし、求めるものなんてなーんにも無い」
「じゃあっ、なんで、こんなことを」

 怯えながらも声を荒げたノートンに、は美しい笑みを浮かべた。それを見ると、またノートンは何も言えずに押し黙ることしかできなくなる。逆らうことのできない、表現しえぬ何かがその笑みには宿っているのだ。

、昔から好きな子ほどからかいたくなる質でね」

 言葉を失ったノートンは、が自分の方へと踏み出すのを見て、ひゅっと喉を鳴らした。
 す、と女は男へと歩み寄る。一歩。また一歩。また、一歩。男は逃げ出したくてたまらないのに、動くことができない。蛇に睨まれた蛙のように固まったまま、微動だにできない。
 とうとう二人の間の距離は瞬きの音が聞こえるほどになって、は固まったノートンの左頬にそっと手を添えた。男の肌はじっとりと汗ばんでいる。恐怖で表情を失い鉛色になったノートンの顔を見て、はうっとりと笑った。

「あなた、冴えない笑顔よりその顔の方がずっと素敵」