淑女なんかお呼びじゃないのさ

 初めて見たときのことは、今でもよく覚えてる。

 その日の夜、僕はいつもの様に溜まり場の一つであるリストランテで夕飯を食べていた。ブチャラティは最近仲間に加わったナランチャと一緒の任務でいない。任務と言ってもまだ入ったばかりだし、きっと簡単なものだろう。借金の取り立てかなんかじゃないだろうか。そんなわけで、その日は珍しく一人でのディナーだった。
 デザートのドルチェも食べ終わって、食後のエスプレッソをぐいっと一気に飲む。腕時計を確認すると、中々遅い時間になっていた。そろそろ帰ろうかと席を立つと、気づいた店の店主がこちらを向いた。この店はパッショーネ傘下にあるから代金を払う必要はない。頭を下げる彼に軽く手を挙げて店から出た。

 扉を開けて店の外に出ると、少し肌寒い空気が顔を撫でた。冷たいそれは暖かい店に長いこと居て少し緩んでいた僕の気を引き締めるようで、無意識の内に背筋を伸ばした。
 今夜は空気がよく乾いて、澄んでいる。空を見上げるといつになく星がよく見えた。明るい星と街灯で辺りはあまり暗くないが、時間が時間だからかほとんど通りに人気はない。
 ふいに足音が聞こえて空に向けていた顔を道に戻す。音のする方を向くと、車道を挟んで通りの向こう側、少し遠くから歩いてくる人影が見えた。姿形を確認して、驚いた。

 女だ。それも多分、僕とそう変わらない年頃の。

 思わず眉を顰める。まだ日付が変わるには少しあるが、それでももう相当遅い時間だ。なんだって、こんな時間に女の子が一人で。
 イタリアの治安は決して良くない。日中でもスリや引ったくりに気を付けなきゃいけないのは当たり前のことだし、夜はもっと危険だ。どんな明るい大通りも、ちょっと角を曲がって道を一本逸れれば途端に薄暗い小道や路地裏に入って、チンピラやゴロツキがうろうろしてる場所になる。男だって注意しなきゃいけない時間帯を、女の子が歩いているなんて。20mくらい離れた場所からこちらの方向に向かってくるその子を、僕は目を凝らして見つめた。顔はあんまりよく見えないけれど、服装からして娼婦だったり裏の世界に属しているようになんて全く見えない。あんなんじゃ遅かれ早かれ、絶対変な奴に絡まれるぞ。
 そう思っている内に、彼女と同じ側の歩道(僕の向かい側)にいたチンピラっぽい男が彼女に気付いた。彼女より少し僕に近いところにいたそいつは酔っているのか、少しフラフラとした足取りでその子に近づく。前を塞がれて立ち止まる彼女を見て、僕は思わずため息をついた。言わんこっちゃない!(まあ本人には何も言ってないんだが)こんな時間に女の子が一人で出歩くから酔っ払いに絡まれるんだ。
 ここら一帯はパッショーネのシマだ。組員の僕が女が暴行されるかもしれないのを見過ごすわけにはいかない。絡まれるその子を助けようかと足を踏み出したが、ふと違う考えが頭に浮かんだ。
 助けるのはもう少し切羽詰まった状況になってからでいいんじゃないか?あの子は夜に独りで出歩くことの危険さを知るべきだ。今回は僕がいるからいいけれど、いつも助けてくれる誰かがいるとは限らない。本当にヤバい、ってところで出て行って、どれだけ危ないのかってことを思い知らさなきゃ彼女のためにもならない。だから、もう少しここでこのまま見ていよう。そう思い直して、足を止めた。

 男と女の子はちょうど街灯の下で立ち止まっている。男はこちらに背を向けているからどんな顔をしているか分からないが、オレンジ色の灯りにぼんやりと照らされた女の子の顔は面倒くさそうにしかめられている。僕は聞こえてくる会話に耳を澄ませた。

「君、こんな時間に一人ィ?」
「そうですけど」

 酔っているからか、男は女の子が嫌そうにしていることも気にかけず話し続ける。

「つれねえなァ~。そう邪険にしないでさ、オレと一緒にどっかで楽しもうよ! ね!」
「嫌です」
「キビシィー!」
「酔っ払い相手にしてる時間は無いんです。どいて」

 そう言って横を抜けて進もうとする女の子にムッとしたのか男は声を荒げ、通り過ぎた彼女の腕を掴んで引き留めた。

「こっちが優しく話しかけてやってんのにその態度はねーんじゃねえのかァ? おいッ!」

 強い力で掴まれたのか、女の子の顔が一瞬歪む。

「下手に出てればよォ~いい気になりやがって! こんな時間に出歩いてるんだ、どうせろくな女じゃねーくせによ!」

 段々男の声が大きくなっていく。そろそろ頃合いか。そう思って二人の方に向かおうとしたところで、違和感に気付いて立ち止まった。
 あの子、全然怯えてなくないか?
 どんなに気が強い女でも、自分より力の強い「男」という存在、それも酔っ払いに絡まれたらほんの少しであろうと絶対に恐怖を感じるはずだ。それを態度に出すか、怯えていないと相手に示すために逆に毅然とした態度をとるかは個人によって違うだろうけど。
 でも、あの子は違う。怯えているだとか、それを隠すために凛とした態度を取ったりしてるんじゃない。さっきから彼女はずっと、ただひたすら面倒くさそうにしかしていない。本当にただうるさい奴に捕まったとしか思ってない態度なんだ。強がりなんかどこにもない。
 最初から少し感じた違和感はそれだったんだ。普通だったら、絡まれた時点で誰かいないか辺りを見回して助けを求めるのが普通じゃないか?それを全くしないから僕がこうして少し離れたところにいるのも気付かない。まるで、男が全く自分の脅威ではないかのように。
 強烈な違和感を抱えたまま止まった僕は、そのまま彼女を見つめる。

「こっちが下手に出てたら調子に乗って……」

 怒鳴る男を尻目に彼女は溜息をついて、苛々とした口調で呟く。さっき男が言ったのと同じセリフだ。

「嫌だって言ってんだからほっといてくれればいいのに……もう許さないから」

 低い声で彼女がそう続けるのと同時に感じた感覚に、固まっていた僕は目を見張った。
 おいおい、そんなまさか。

「あんたのせいだからね……!」
「何言ってんだテメー!」

 状況が理解できていない男が行動を起こす前に、彼女の背後に出現したそれは目にもとまらぬ速さでそいつの頭を殴った。
 ぐらり、と男が傾く。糸が切れたように、そのままその体は歩道に倒れこんだ。

 彼女はスタンド使いだったのか……!
 倒れた男を背中に女の子が深く息を吐き出すのと同時に、ようやく僕は理解した。道理でチンピラなんかには全くビビらないはずだ。彼女の恐れの無さは、対抗手段を持っているが故の確固たる自信の表れだったんだ。やっと合点がいった。

「ああっ!」

 一人納得していたところに急に大きな声で女の子が叫んで、思わず肩を揺らした。同時に彼女の背後にいたスタンドが消える。口元に手を当てて、女の子はオロオロと倒れた男の周りをまわった。

「どうしようやりすぎちゃった……!」

 男に絡まれて頭に上った血が冷めて我に返ったんだろう、その姿にさっきまでの気迫はどこにもなかった。それがおかしくて、思わず吹き出しそうになる。
 心底心配しているのか、女の子は少し泣きそうな顔で男の口元に手をかざした。

「よ、よかった……生きてる……」

 当たり前だが呼吸をしていたみたいで、心底安堵したようにそう呟くと、彼女はそーっと立ち上がり男から数歩離れる。警戒するように辺りを見回したところで、やっと彼女は僕の存在に気付いた。

「うわああ!!」

 心底驚いたような顔をして叫ぶ姿に、今度こそ思いっきり吹き出した。なんだこの子、面白い。
自分とは向かい側の歩道にいる僕を見つめるその顔は、はっきりと引きつっている。

「あっあのなんかこの男の人急に倒れて! それでその!」

 要領を得ないことを必死に口走る姿に笑いを必死に抑えた。当たり前だけど、僕にはスタンドが見えてなかったと思ってるんだ。事情が分からなければそりゃあ男が勝手に倒れたように見えるだろう。
どうにか説明を続けようとするも上手く頭が働かないのか、彼女はこの世の終わりのような表情になっていく。

「だからその……その……」

 退却するように段々と体が後ずさる。

「そういうことだから!!」

 焦りが頂点に達したのか、そう言い残して彼女は身をひるがえして来た方向へと全速力で走り去っていった。
 その場に残された僕はあっけにとられて、小さくなっていく後ろ姿を見つめた。自然と笑いが込み上げてくる。なんなんだあの子。面白すぎる。時折思い出し笑いをしながら家路へと向かう道は、いつになく愉快だった。

・・・

 次の日。ブチャラティからいつものカフェに来るように連絡を受けた僕は、ナランチャと一緒に彼が来るのを待っていた。

「昨日聞いたんだけどさー、俺たちのチームに新入りが来るらしいぜ!」
「そうなの?」
「そーそー! だからきっと今ブチャラティはそいつを連れて来てんだよ!」

 ワクワクと話すナランチャに相槌を打つ。新入りか。どんな奴だろう。僕とナランチャがスタンドを発現してブチャラティチームに入ったことを考えると、新入りもスタンド使いの可能性が高いかもしれない。
 ふと昨日の女の子のことが頭に浮かんで、思い出し笑いをした。そういえばあの子もスタンド使いだったな。またいつかどこかで会えるだろうか。

 小さなベルの鳴る音が聞こえて、ナランチャと僕は扉の方を振り返った。外の喧騒が流れ込むのと一緒にブチャラティが店の中に入ってきた。後ろには誰かがいる。こちらの席に向かって歩いて来る内に見えたその顔に、僕は思わず目を丸くした。

「お前たち、待たせたな。新入りを紹介する」

 そう言ってブチャラティは自分の後ろにいた人物を僕たちに見せた。

「どうも、です」

 まさか、こんなことがあるなんて。
 少し緊張した面持ちで自分の名前を告げるその姿は、まだ記憶に新しい。目が合った彼女は、僕とおなじように驚いた顔で口をぽかんと開けた。

「きっ、昨日の……!」
「え~ッ何、フーゴ知り合いかよ?」

 ナランチャが不思議そうに聞いてくる声に頷いて、僕はに笑いかけた。
 予想よりずっと早い再会に、知らずの内に胸が弾んでいた。

「また会いましたね」

 一筋縄じゃいかなさそうな、そんな子。これから毎日、楽しくなりそうだ。