いじわるでやさしい

※本誌用語バレ注意

 男を翻弄する女になりたいって、女ならきっと誰でも一度は願うのではないだろうか。ボンドガールのように。峰不二子のように。掴みどころが無く妖艶で、魅力的で、どうしようもなく危険な香りのする女になりたいと。サロメほどの激しさは持たずとも、運命の女としても魔性の女としても誰かにとってのファム・ファタールになりたいと思うことがあるのではないだろうか。

 今見ていたのは007でもルパン三世でもないけれど、登場するヒロインは彼女らと同じくらい魅力的な小悪魔で、男前の主人公は彼女に首ったけだった。

「やー、面白かったね」

 隣に座る悟がのんきな声で言う。エンドロールも終わって、50インチの液晶が白黒になったたちを反射していた。
 悟は掴みどころの無い男だ。隣に並んでいる──はずのはいつも必死で、のらりくらりと翻弄されてばかり。オム・ファタールとでも呼ぶべきなのだろうか。これまでどれだけの女を狂わせてきたのだろう。本当はそんなあくどい奴じゃないのかもしれないけれど、そんな事を時々考えるくらいに悟はかっこよくて、魅力的で、それでもって謎めいている。
 はもんもんと考えているのに隣の男はくつろいだ様子でいるのがどうにも憎らしくて、衝動の任せるままテレビの方に向けていた身体を横に向ける。てろりとした部屋着に包まれた肩をぐいと押すと、面白いくらい簡単に大きな身体はソファへと倒れ込んだ。いつもは自分よりずっと高い位置にある顔を膝立ちになって見下ろすのはなかなか気分がいい。

「なになに、どうしたの」
「ちょっと黙って」

 それなのに悟は相も変わらず面白がるようなトーンで話しかけてくるから一気に腹の底のイラつきが質量を増して暴れた。いつも薄く笑顔を浮かべて、余裕たっぷりで。ばっかり必死みたいじゃない。ばっかり好きみたいじゃない。悔しくなって、室内でもずっとかけたままでいたサングラスに手を伸ばした。もうここまで来たら止まれない。
 黒いつるを掴んでソファの下に落とすと淡い色の六眼が真っ直ぐにを射抜く。途端、少しも身動きが取れなくなった。

「どうした?」

 行動を起こしたのは自分のくせに、蛇に睨まれた蛙みたいに硬直してしまう。唾を飲み込むことさえできずにただただ無言で見つめると、悟は妖艶なまでの笑みを浮かべた。

「俺を骨抜きにしてみろよ」

 伸ばされた手が頬に触れる。瞬間肌が粟立って、息を止めた。少しでも動けば食べられてしまいそうに空気が張り詰める。ほんの少し恐怖にも似たすさまじい緊張感が身体を硬直させる。

「……く、」

 数秒無言で見つめ合った後、捕食者たる男は唐突に喉の奥で笑い声を漏らした。
 矢のように鋭かった視線がへにゃりと緩む。肩を震わせた後、悟はぐいとの頭を自分へと引き寄せた。

「も~、ほんっとにかわいいね! オマエは!!」

 胸元に抱き寄せられて一気に体が弛緩する。どっと安心するのと同時に情けなくなって、がっくり気分が落ち込む。ぽんぽんと優しく後頭部を撫でられて、情けない声が出た。

「悟ばっかずるいぃ……」
「そう?」

 穏やかな声で問いかけてくるのに無言で頷くことしかできない。優しく叩くような触れ方は髪を梳くような手つきに変わる。

「背伸びしなくていいから、そのままで僕の隣に居てよ」

 なだめる声は甘くて優しい。そういうとこがむかつく。
 悔しいけど、結局こうやっていつまでもずっと掌の上で転がされて、甘やかされているままなのかもしれない。腹立たしいけど、それでもは悟が好きだ。