仕切り直し

「芹沢さんじゃん!」

 もうすぐ始まる授業の準備をしていたところに後ろから大きな声をかけられた。突然のことに驚きながらも振り返って目に映った人物に、芹沢はぽかんと口を開けた。

さん」

 は超能力者集団・爪──その本部に所属する超能力者だった。年齢は高校生程度か、それより少し上くらいのはずだ。何かの機会で島崎に酒を勧められた時、歳を理由に断っているのを見た覚えがあるから、成人はしていない。彼女が爪に所属するに至った経緯や理由は知らないが、5超ほどではないにせよなかなか強力な超能力者だった。
 過去形なのは数ヶ月前に爪が崩壊したからだ。前代未聞の超能力者たちによる大規模な暴動は、リーダーであった鈴木統一郎が政府に連行されたことによって終わりを迎えた。公共の電波をジャックし、総理大臣を誘拐。その上市街地にあれだけ大きな損害を与えていながら組織に属する者全てが逮捕されるわけではなかったというのは信じがたいほどに寛大な措置だったと言えるだろう。元々強固な信念を持つ者たちが集まっていたわけでもなし、統一郎の出頭・逮捕と共に、逮捕されていなかった構成員たちは散り散りになった。
 芹沢は爪崩壊以後特に誰とも連絡を取っていなかったが、構成員のほとんどが成人しているため、大多数は自分のようにどうにかして社会復帰をしようともがいているのだろうと考えていた。しかし、は数少ない未成年者だ。そうなれば学校に戻るのも当然なのかもなあ、などと考えて、いつもより少し上の空気味になりながら芹沢は回顧していた。
 今は授業の真っ最中だ。そんな芹沢の集中を乱すきっかけとなったはというと、彼に話しかけたはいいが「こっちから声かけといてアレだけどもう授業始まるし後でね」と告げ、早々に自身の荷物を置いた席へと戻り、今は芹沢と同じように授業を受けていた。ぼーっと思い返す自分とは対照的に斜め前方に座る彼女の頭が教師とノートを忙しく行き来するのを見て、芹沢はシャーペンを握っていた手をまた動かし始めた。

「芹沢さーん!」

 本日の授業が全て終わった後、はまた筆記用具を片付けていた芹沢のもとにやってきた。

「さっきはマジごめん! 勝手に行っちゃって」
「いや、大丈夫だよ。久しぶりだね」

 顔の前で両手を合わせて謝るに頭を振ると彼女は安心したように笑い、そのまま既に空いていた芹沢の前の席の椅子に座ってじっと彼の顔を見た。

「てか芹沢さんマジで全然感じ違うね? 髪切ってヒゲ剃ったら別人じゃん。知ってる超能力者だから気配で分かったけど、そうじゃなかったら絶対同一人物って分かんなかったわ」
「そんなに違うかな?」
「全っ然違う」

 傍から見るとそうなのか。自分じゃあんまり分からないなあと思いつつ、芹沢は声をかけられたときから気になっていたことを前に座るに尋ねた。

「俺は少し前から夜学に通ってるんだけど、さんは今日からなのかな? 今まで会ったことなかったよね」
「1ヵ月くらい前から通ってる! 最初は1年の内容やってたんだけど、もっと上のレベルでも大丈夫そうって判断されて特別にこっち上がってきた」
「ああ、なるほど」

 夜間学校は昼間の中学校と同じに、原則3年間通うものだ。授業の内容も昼間の学校と変わらない。芹沢が現在学んでいるのは第2学年の課程に当たるもので、は第1学年に相当する学級から上がってきたのだろう。初登校にしてはどこか馴染んだ様に振る舞っているように見えたこともあり、納得して頷く芹沢に今度はが尋ねた。

「芹沢さんはなんでここ通ってんの?」
「……俺は引きこもりだったんだ。力がコントロールできなくて、人を傷つけるのも気味悪がられるのも嫌で中学生の途中くらいからろくに学校に行かなくなってね。今その遅れを取り戻そうとしてるんだ」
「へえ~」

 興味深げに頷いて、は相槌を打った。芹沢とは爪にいた頃にそれなりに話してはいたが、互いの過去について語り合ったことなどは無かった。芹沢が組織の最高幹部として統一郎の近くに控えていることが多かったのに対しはそれよりはずっと下の立場にいたので、そもそもそこまで関わることが多くなかったのだ。2人が知り合ってから1年以上経っているが、話した機会自体は両手で足りるほどしかない。

さんは?」

 芹沢が義務教育を終えているはずの歳なのはもちろんだが、にも同じことが言える。そのまま質問を返す芹沢に彼女は何とも言えない表情をした。

も芹沢さんと同じようなもんだけどー、ある意味逆っつーか」
「逆?」

 首を傾げる芹沢には頷いた。

「引きこもりってことはずっと家にいたんでしょ? は中学の途中くらいから逆にあんまり家にいつかなくなった。も力使うのへったくそでさー、小学生の時パニくって家の中メチャクチャにしたら親に超~ビビられて。それからほぼ透明人間扱いされるようになった」

 説明するうちに当時の記憶が甦って、は顔を歪めた。
 自分の力が暴走した際に恐怖を示されたという事実は、幼いに大きなトラウマを植え付けた。無条件に自分を受け入れてくれるはずの親が、許すどころか怒ることすらできずに自分を恐れる。は決して親を傷付けたいなどとは思っていなかったのに、家に居ればまるで祟りに遭うことを恐れでもするように息を潜められた。彼女は、誰よりも理解してほしかった相手に、ある意味明確な拒絶よりも残酷な形で溝を見せつけられたのだ。それならば学校にいる他人などが自分と分かり合うことなど尚更ありえないと思い、家にも学校にも寄り付かずに外でフラフラとしていた。そこで出会ったのが鈴木統一郎だったのだ。
 血が繋がっていなくとも、歳がどれだけ離れていようとも、同じ超能力者同士なら互いを恐れずに済む。理解しあえる。そう言葉をかけられ、はそこに楽園を見た。爪こそが自分の真の居場所だと思い込んだのだ。
 自分と同じように超能力が使える人間だけがいる場所。自分が異端ではない、異常ではないと思わせてくれる場所。忌み嫌われた能力を誇らしく思える場所。孤独だっただけでなく、年若いこともあっては爪という組織に強く依存した。

 統一郎がテレビでクーデターを宣言した時、は初めて疑問を覚えた。それまでは、爪が勢力を伸ばそうとする組織であることは百も承知なはずながら「自分の居場所」としてしか見られずにいたのが、羽鳥の電波ジャックによる統一郎の演説と無残に破壊されていく街並みによって唐突に「爪は暴力的なテロ組織である」という事実を実感と共に思い知らされたのだ。
 超能力を持たない人間とは分かり合えないのだから関わりたくない。だからといって彼等を支配したり傷つけたいわけではない。けれど、統一郎には海よりも深い恩がある。矛盾を孕んだ感情は揺れながらも、政府側の超能力者や中学生の超能力者たちと戦う内に次第と鎮静を望む方向へと動いていった。元々暴力的なわけではないは迷いに迷った挙句、最終的に芹沢や峯岸と同じように統一郎を止めようと決意したのだった。結果として統一郎を止めることには成功したが、自分が心から信頼していた男が手錠をかけられヨシフに連行されていくのを見守ったの心中はぐちゃぐちゃだった。
 敵対する超能力者達どころか右腕と呼んでいた芹沢さえ躊躇せず傷つけて、力を吸い取る。統一郎が仲間と呼んでいたものは所詮彼にとって使い捨ての駒以外の何者でもなかったのだ。最終的にクーデターは阻止され街には平和が戻ったが、が居場所だと思っていたものはもうどこにもなかった。
 最終的には暴動を阻止する側に回ったとはいえ元々はテロ組織に属していたのだ。何も非がないのに巻き込まれた民間人たちにしてみれば自分は完全な加害者であるし、文句や泣きごとなんて口が裂けても言うべきではない。はそれをよく分かっていたが、それでも途方に暮れてどうすればいいのか分からなかった。どこかに逃げてしまいたいけれど、今まで逃げ場として大事にしていた場所はもうない。だから結局、未成年のは家に戻る他なかった。

「……あの暴動の日、ボロボロになって家に帰ってきたら親にすっげー泣かれて。電波ジャック放送見て、超能力者達が暴れてるならもそこにいるのかも、って心配してたんだって」
「親御さんが?」

 芹沢が驚きに目を瞠ると、は苦笑して頷いた。

「うん。めっちゃ傷だらけだったからお父さんもお母さんも泣きながら「大丈夫か」とか「ずっと申し訳ないことした」って言って抱きしめてきて……今更おせーんだよ、ふざけんな、ってキレて久々に家の中めちゃくちゃにしちゃったんだけど、それでもずっとを抱きしめたままでいてくれたから」

 何かをこらえるように、は一度ぐっと息を止める。芹沢が見つめる中小さく鼻をすすって、彼女はは言葉を続けた。

「ずっとさー、家族から拒絶されるなら他人となんて絶対分かり合えるわけねーって思ってたんだよね。だから学校で友達できるわけないじゃんって思って行かなかった」

 黙っての言葉を聞きながら、芹沢は頷いた。痛い程に、彼女の言っていることが分かったから。芹沢は親に拒否こそされなかったが、統一郎と出会うまでは自分を理解できる人間など決して現れないと思っていた。だからこそ、青天の霹靂のように現れた爪という組織にどっぷりと依存したのだ。

「……でもここに来たら、別に皆超能力なんて持ってなくてもいろんな理由で苦しんだり傷付いて、登校拒否になったり学校に行けなかったりしてるんだって分かってさあ……や超能力者だけが特別なんじゃないって。それにお父さんとお母さんがと関わろうとしてくれたからもし分かり合えなくても、同じ力を持ってなくても、仲良くできるのかもってやっと分かった」
「……そうだね」

 爪にいた頃、芹沢はのことを自分とは正反対の明るい少女だと思っていた。そしてその明るさから、きっと早くの内に超能力と折り合いをつけて、超能力者なりに楽しく人生を送ってきたのだろうと勝手に想像していたのだ。
 けれど今こうして静かに話す言葉を聞けば、彼女は自分と同じように苦しんでいたのだとよく分かった。そして自分よりずっと若いのに、自身を取り巻く世界の事を考えて、少しずつ前に進もうとしている。
 結局、芹沢もも変わらない。拒絶が怖くてただただ怯える人間だった。そして今は、もがきながらもやり直そうとしている。同じだ、と急に思った。超能力者として1年以上同じ組織に属していた頃よりも、こうして互いの立場が無くなった後に数分の会話をした今の方が、芹沢は余程に親近感を抱いていた。

「……さんは若いのに偉いね。しっかりしてるよ」

 影山君といいさんといい、今の若い子たちはしっかりしている。こんな子がいっぱいいるなら、きっとこの国の未来は明るいだろう。
 そう思ってしみじみと言う芹沢にはぶんぶんと首を振った。

「全然してないよ! 昼間は家でお母さんとテレビ見たりとかしかしてないし。てか芹沢さんは昼間何してんの?」
「霊障やなんやの相談を受ける、霊とか相談所っていうところで働いてるよ」

 芹沢の答えに、今度はが目を瞠った。

「勉強だけじゃなくて仕事もしてんの!? すっごい……!」
「そんなことないよ」

 はまだ若いが芹沢はもう30歳だ。青年期などとっくに過ぎて、間違いに気づくのが遅すぎたと思うときさえある。なんにせよ、決して早くはない。これまで社会に逆らって人を傷つけたことの罪滅ぼしが少しでもできれば、と思い霊幻の誘いに頷いたのだ。

「ボスと最後に戦ってた男の子を覚えてる? あの子とあの子の師匠と一緒に働いてるんだ」
「あのめっちゃ強い子!? ヤバいね」

 統一郎と戦い、最終的には暴走する彼の力を抑え込んだ小柄な少年のことはもよく覚えている。自分より年下でありながら比べようとも思わないほどの圧倒的な力の差に、恐怖を覚えるほどだった。

「すごく強い力を持っているけど、それに頼らず生きようとしているすごい男の子だよ。尊敬してる」
「偉いなあ……」

 皆、それぞれの生き方を探している。何が最善なのかを自分なりに見つけようとしている。自分も頑張らなければと改めて思いつつ、はふと浮かんだ考えを口にした。

「ね、今度芹沢さんの職場遊びに行ってもいい?」

 唐突な言葉に芹沢は目を瞬いた。

「相談所に?」
「うん。仕事が暇な時でいいから」
「多分大丈夫だと思うけど……どうして?」
「超能力使って働くってどんな感じなのか気になるし、友達がどんなとこで働いてんのか見てみたいから」

 あっけらかんと言われた言葉に芹沢は固まった。友達。今この少女は、自分を指してそう言ったのだろうか。こんな、一回り近く歳の離れた男のことを指して。
 そう思ったのはありありと顔に出ていたようで、は逆にそんな芹沢にびっくりしたような顔をした。

「え、もう友達でしょ! こんな話して、これからも一緒に授業受けるんだから」
「友達……」

 芹沢はの言葉を繰り返した。元々人付き合いは得意ではないし、ここでの友達作りは諦めていた。勉強が目的なのだから、それも仕方ないと納得しかけていた。けれどこうしてと再会し、爪の中だけでの関わり合いだったらできなかったような会話ができている。ずっとあそこにいれば、きっと知ることもなかったであろう少女の本当の姿を知ることができた。確かに、自分たちはもう友達なのかもしれない。
 ゆっくりと自分の中でその事実をかみ砕いてから、芹沢は頷いた。

「うん、遊びに来てよ。友達が来たら俺も嬉しい」

 ひょっとして、こうしてまたと出会えたのはとんでもなく素晴らしいことなのではないだろうか。そう思いながら、自分の返事に笑顔になった少女を見て、芹沢も少しだけ笑った。