心臓が限界まで速く脈を打っている。もう夏は終わりかけて涼しさを感じる季節なのに全身が火照ったように熱い。苦しさに咳き込むと乾いてはりついた喉の奥が痛んだ。それでも前に進むことをやめないのは、前にいる彼がよりふらふらとしているのに足を止めないからだ。
光芒をかける素足
が肉体改造部、通称肉改に入部したのはつい2週間前のことだった。放課後、家に帰ろうと歩いていた時、ランニングをしている部員達に追い抜かれたのだ。を追い抜いた体操着姿の体格のいいその人達は同じ中学生だとは信じられないくらいにたくましくて、それでも確かにと同じ塩中の体操着を着ていた。昔から体力が無いことが悩みで、どうにかしてそんな自分を変えたいと思っていたにはその人たちが(ごついけれど)天使の行列のように見えたのだった。
──はっ、いけない。あまりの辛さに走馬灯もどきが脳内を流れていた。
そう、は今肉改の部員達と放課後の部活動──つまりはランニング中だ。というかももうれっきとした部員である。聖者の行進と出くわした次の日、彼等が何度も繰り返していた「にくかい」という言葉を頼りに生徒会の先輩にそれらしい部活がないか聞いたところ、すぐに判明したのだ。
肉体改造部は、平たく言うならば筋トレ部だった。筋トレをして、ランニングをする部活。何かスポーツがやりたかったわけでもないには、ただ体力をつけるだけのその部活はぴったりだった。問題は一つだけ。の体力の無さが自分で思っていた以上だったということ。筋トレどころか、ウォームアップの為のランニング時点でこうして毎回バテバテになり、息も絶え絶えという情けない有様。実際、は途中で倒れそうになったので何回か立ち止まってしばらくの間息を整えていた。
もう無理かもしれない、なんて霞みつつある頭で考えていたところでゴールである学校が見えて、心の中で歓声を上げた。や、やっと帰ってきた……!
校門に入ると同時にその場へとへたりこんでしまう。喉がからからだ。
「影山、、大丈夫か?」
動けずにいると、とっくに着いていたムサシ部長がこっちへ来て声をかけてくれた。
「だ、大丈夫、です……」
返事をする前に、隣から弱々しい返事が返る。と同じように地面へ倒れ込んでいたモブくんだ。
実際に肉改に入る前にはその存在に全く気付いていなかったのだけど、同学年のモブくん──影山茂夫くんも肉改部員だった。彼は筋肉隆々で力強い他の部員と違って、と同じタイプの運動が苦手な男の子だ。そして、毎回と同じようにランニングの道半ばで前後不覚になっている。けれどモブくんはいつだって一生懸命で、絶対に弱音を吐かなかった。聞けば彼は今年の5月頃から肉改に入って、9月の今まで頑張っているらしい。
「はあ~疲れた……」
ランニングと筋トレの合間の休憩時間。校舎の外れにある水道で蛇口の水をごくごくと飲んで、ようやく息をつく。口からこぼれ出たため息と言葉は我ながら情けなかった。
今日で肉改に入って2週間。正直なところ、はとても悩んでいた。肉改の部員は皆本当に優しいし良い人達だけど、体を動かすのって本当に辛い。それまでろくに運動をしてこなかったから余計に辛い。どうにかして体力をつけたいと思っていたけど、これは無理かもしれない。はあ、とその場でもう一度ため息をつく。、続けられるかなぁ。うじうじと考え込んでしまうのも筋肉が無いからなのだろうか……。
はあ、と三度目のため息をついたところで後ろから砂利を踏みしめる音が聞こえて振り向く。よろよろとこちらに近づくのは未だに顔色が悪いモブ君だった。
「あ、さん」
「モブくん。大丈夫?」
「うん……」
こくりと頷きながらもその声は弱々しい。の声も掠れているからお互い様だ。
隣の蛇口をひねって水を飲む彼の横顔をじっと見つめる。やがて十分に喉を潤し、顔を上げて口元をぬぐったモブくんにはぽつりと疑問を投げかけた。
「……モブくんは、どうしてそんなに頑張れるの?」
入部したその日から、ずっと気になっていたことだった。モブくんの体力は、女子のとほとんど変わらない。普通の女子より運動が苦手な、とだ。そんなモブくんが一生懸命に、めげずに肉改での活動を頑張っている姿はとてもまぶしくて、同時に不思議だった。何か絶対に諦められない理由があるのかな。
そんなことを思いながらのの質問に、モブくんは「えっ」と短い声を上げて固まった。元からあまり変わることの無い彼の表情が思案に沈む。少しの間を置いて、モブくんは口を開いた。
「……変わりたい、からかな」
口にしながら、確かめるように。自分のことなのに少し自信なさげなトーンで返されたその答えに、瞠目した。
「変わりたい……?」
「うん。最初は、男の魅力を身につけたくてだったけど」
続けながら、モブくんは自分の言葉を噛み締めているように見えた。
「……今は、今までの自分から変わりたくてやってるんだと思う」
変わりたい。それはびっくりするくらい単純で、けれど新鮮な言葉だった。
「さんは?」
「え?」
「さんは、どうして肉改に入ろうと思ったの」
「……は……」
体力をつけたいから。そのはずだけど、一瞬そう答えることを躊躇した。
も、そうだったのかもしれない。「体力をつけたい」というのは、結局のところ「今までの頑張れない自分から変わりたい」ということだったのかもしれない。
「……も、そうかもしれない」
迷った挙句そう口にすると、モブくんは「そっか」と簡潔な相槌をよこした。
「さんも、頑張ってるんだね」
ほんの少しだけ口角を上げて笑うモブくんの笑顔は、アイドルが浮かべる満面の笑みより眩しく見えた。
「腹筋10回! すごいぞ、新記録じゃないか!」
お腹が激しく痛むのを感じながら息を切らして背中をマットレスにつけると、ムサシ部長が言う。他の皆も歓声を上げて喜んでくれて、は途切れ途切れになんとか「ありがとございます」と口にした。
皆は腹筋なんて100回だってできるのに、が10回という自己新記録を更新しただけで自分のことのようにこんなに喜んでくれる。成長したと、認めてくれる。それはなんだかくすぐったくて、同時にとても嬉しかった。
「すごいよ、さん」
「も、モブくん……ありがとう……」
横たわったままのにタオルを差し出してくれるモブくんにお礼を言ってなんとか上半身を起こす。モブくんはモブくんで、さっき腹筋の自己新記録(20回)を更新したところだ。
まだまだ体力はついていないし、やめたいと思うことだってこの先何度かあるかもしれない。それでも、たくましく強く優しい肉改部員の皆と、一生懸命なモブくんが一緒ならきっとも頑張れる。そんなことを思いながら、はタオルを受け取った。