「えっ福富くんって甘いもの好きなの!?」
立ち止まって大声を出したに一瞬ポカンとした後、新開くんはしまったという顔をして頭に手をやった。
「ごめん、教えてなかったか」
バレンタイン終了の鐘が響き渡るのが聞こえた気がした。
福富寿一の場合
図書室に向かう道のりの途中、階段の踊り場では頭を抱えた。そんなを見て新開くんも足を止める。
今日は二月十四日。三年生には珍しく学校のある日だ。この日、は一大決心をして行動を起こすつもりでいた。
福富くんや自転車競技部の皆は、高校生活のほぼ全ての時間を自転車に捧げていた。他のものが入り込む余地なんてないほど。部活があった時はとてもじゃないけど恋人を作る余裕なんて無さそうで、自身邪魔したくなかったから福富くん本人に対して好意を仄めかせさえしなかった。皆が部活を引退して、やっとこの想いを前に出してもいい時が来たと思っていた。
三年生は受験の真っ最中なため、三学期に入ってから学校に来る機会はめっきり減った。そんな中ちょうどバレンタインの日に学校があって、は神様に本当に感謝していたのだ。三学期の予定を作ったのは神様じゃなくて校長とか先生とかだろうけど、それでも恋愛の神様に感謝した。高校生活の最後の最後に最高のチャンスを作ってくれたことに。
そんな機会を、は自分で駄目にしてしまった。知らなかったけど、福富くんは甘いものが大好きらしい。
「えーまずいよ! 本当に! まずい!! の作ってきたもの全く甘くない!!」
「そんなに焦ることないさ、さんにもらえるんだったらきっと寿一はなんでも嬉しいよ」
半分パニックに陥って叫ぶに対して新開くんはいつも通り。
部活で鍛えた精神力なのか分からないけど、ほとんど普段と変わらないトーンでなだめられるとこっちも少しずつ落ち着いてくる。
「うーん……」
「というか何作ってきたの?」
「カカオ100%のチョコ使ったトリュフチョコ」
さっきまでをなだめてた新開くんもこれには流石に顔を引きつらせた。あんまり甘くないどころじゃない。ほとんど甘さなんてないと言っていいぐらいだ。ていうか苦い。
眉を下げて、新開くんはに両手を合わせた。
「……ごめんな、ちゃんと教えとけば良かった」
「新開くんが謝ることなんてない……ちゃんとリサーチしてなかったが悪いよ……」
正直、三年になってからかなりいい雰囲気になってたと思う。時々クラスの子に二人って付き合ってるの?とか聞かれるぐらい。そもそも福富くんは女友達が多いタイプじゃないけど頑張って話しかけて、ほとんど顔に出ない感情もなんとなく表情で読めるようにだってなってきて、冬休みには一緒に勉強しよう、って二人で会ったこともあった。自惚れてるんじゃなければ、福富くんはのことを憎からず思ってくれてるはずだ。
でも、最高のチャンスを逃した。甘いもの大好きな人にこんなものを渡すなんて嫌がらせじゃん。無理じゃん。
「仕方ない、捨てるかなこれ」
ため息と共に肩を落とす。
ちなみに今日は授業が終わってから福富くん、新開くん、の三人で図書館に集まって受験の追い込み勉強をする予定になっていた。同じクラスの新開くんとで図書館に向かってる最中にこの衝撃の事実を知ったわけだ。多分福富くんはもう図書館についてるはず。予定では勉強の途中で新開くんがなんやかんや理由をつけてと福富くんを二人きりにしてくれるはずだったのに……
の呟きに、新開くんは「えー」と声をあげた。
「そりゃもったいないなー……もらってもいいかい?」
「新開くんたくさん貰ってるのにまだ食べたいの……? 普通チョコ見たくもないとかならない?」
顔がかっこよくて、運動ができて、人当たりがいい。でも自転車一筋でチャラくはない。そんな新開くんのもらったチョコの数は多分学内でもトップに入るはずだ。現にその両手にはチョコがいっぱいに入った紙袋がさげられている。
首をかしげて尋ねると、新開くんはにっと笑った。
「オレチョコ好きなんだー」
それはさぞかし女の子たちが喜ぶだろう。たとえ付き合うとかいう結果になるわけじゃなくても、作り物の感謝と言葉じゃなくて心からの笑顔をもらえたらきっと嬉しいはずだ。それに俺チョコはビターのが好きだからピッタリだなあ、なんて言葉に苦笑する。
掃除当番を終えてから教室を出たから、下校時間は少し前に過ぎている。さっきからずっと突っ立っていたあまり人気のない階段の踊り場に腰を下ろして、わくわくした視線を受けながら鞄をごそごそ漁った。
隣に座った彼にピンクのふわふわした素材の包みに入った小さな箱を渡す。嬉々とした表情で包みを開けて、新開くんはいただきます、と軽く手を合わせた。小さなかたまりが厚い唇に一瞬触れて、飲み込まれる。その様子をぼーっと見ながら感想を聞いた。
「お味はいかがですか」
「んー苦い! でもすっげえ美味しい!」
「愛を込めたからね……」
美味しいと言ってもらえても素直によかった、と思えないのは失礼だけど、どうしようもなく事実だ。チョコの本当に辿り着いてほしかった人は違うから。
苦笑して茶化すようにそう言えば、新開くんは軽く笑って二個目を手に取った。
「そりゃ大事に食わなきゃ、」
そこで何かを感じたのかふい、と上の階に続く階段に目を上げて。
そのまま新開くんは凍り付いた。
「寿一」
「へっ!?」
恐ろしく焦った声の色とその内容に、も間の抜けた声を上げて新開くんのその視線の先を追った。
「……新開……」
明るい金髪、対照的に真っ黒い眉毛、通った鼻筋、よくとおる低い声。 たちの座っている踊り場より少し上からこちらを呆然としたように見下ろしているのは、間違いなく福富くんだった。
サーッと自分の顔から血の気が引くのが分かる。どうしよう、きっとたちが中々図書室に来ないから探しに来たんだ。
「寿一、おめさんどっから聞いてた……?」
引きつった声で尋ねられた質問に、祈るように答えを待つ。タイミング次第では、大変な誤解を生んでしまう。
「お前が苦いと言うところから聞こえた」
悪い意味でドンピシャ。最悪なタイミングじゃないか、と言う新開くんの声が静かな階段の踊り場にやけに響いた。
まだ呆然としたような顔のまま、福富くんはゆっくりと階段を降りてくる。
「新開とは付き合ってたのか……」
「違う!」
たまらずが叫ぶと、福富くんはほんの少しだけ首を傾げた。
「……じゃあこれから付き合うのか」
「違う!!」
今度は新開君がそう叫んで立ち上がり、降りてきて達と同じ踊り場に立った福富くんの肩を強く掴んだ。
「あのな寿一、この状況にはちゃんと理由があるんだ。このチョコだって本当はオレじゃなくて寿一が食べるはずだった」
「……よく意味が分からないんだが」
いつも飄々としてる新開くんが焦ったように肩を揺さぶるのに福富くんは困惑したようにかすかに顔を歪めた。
新開くんと同じように階段から立ったも急いで説明しようとしたものの、焦りすぎて言葉がうまく出てこない。アワアワしながら助けを求めようと新開くんの制服の腕を引っ張ると、福富くんは酷く複雑そうな顔でのその手を見つめた。慌ててパッと袖から手を離しながらもどうしようもなく期待してしまうのは、自惚れなのだろうか。
そんなの様子に苦笑して、新開くんはまた福富くんに向き直った。
・・・
「じゃあ、邪魔者は消えるから」
五分後。
の代わりにしっかり最初から最後まで説明してくれた新開くんは、福富くんの肩をポンと叩いて笑った。とのすれ違いざまに、を指差した後に福富くんを指差してあのバキュンポーズをしたのは、確実に射止めてみせろってこと?
軽い足取りで階段を上がっていった赤茶色髪の後ろ姿を見つめてるうちになんだか気が抜けて、さっきみたいに階段に座り込む。息をついたところで後ろからため息が聞こえて、思わず肩が跳ねた。
「お前と新開が並んで座っているのを見たとき、」
静かな声にそろそろと後ろを振り返ると、福富くんはまっすぐにを見つめていた。いつもキリリと寄せられている黒い眉毛は見たこともないぐらい下がっていて。
「今までオレは自惚れていたんだと、そう思った」
「……ごめんね」
謝るな。
疲れたようにぽつりとそう言って、福富くんはの隣にのろのろと座り込んだ。拳一つ分ぐらいしか空いてない距離。肩が触れそうだ。
「だから、事情が分かって安心した」
焦がれた熱はあまりにも近い。何か言わなきゃと思って口を開こうとしたけれど、が声を出す前に福富くんは言葉を続ける。
「オレがのことを好きなように、もオレのことを好いてくれてると思っていたからな」
さらりと出された言葉に心臓が止まるかと思った。普段から強い眼光が、今は違う熱さをもってを見ている。
両想いかもとは思ってはいたけれど実際はっきりすると嬉しいしびっくりするし、なんだか胸がいっぱいで泣きそうだ。
「ふ、福富くんが甘いもの好きって知って、こんなもの渡せないって思って」
本命だから。声が震えそうになるのを抑えてそう言うと、福富くんはかすかに笑った。
笑うところなんて、初めて見た。ぽかんとしてるの頭を優しく撫でて、福富くんは言った。
「来年とびきり甘いのを作ってくれればいい」
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