淡く紡ぐ

 春は出会いを連れてくるだろうか。別れを促すだろうか。桜に始まりと終わりを見出すのは、この季節に年度が変わる日本人特有のものなのだろう。

 卒業式を終え友人達と写真を撮った後、校舎の周りをぶらぶらと歩いた。受験を終えて久しぶりに訪れた学校は、どこか柔らかな空気を纏っているように感じられた。風はほんの少し湿り気を帯びて暖かく、寒々しく剥き出しになっていた枝は淡い色彩の花で覆われている。春が来たと心の底から実感させるその風景は、あまり感性の豊かではない自分でも、素直に美しいと思えるものであった。

「綺麗だな」

 ぼう、と咲き乱れる桜を眺めていたところに声をかけられ振り返る。目に入ったのは、三年間密かに想い続けた人だった。

「福富くん」

 自分より一回り大きい彼は、すぐ後ろにいた。足音にも気付かなかったから、大分桜に見惚れていたのだろう。あまりないほどに近付いた体に今更のように体温が上がる。春の陽気のせいだ、と心の中で誰に対してかも分からない言い訳をするぐらいには動揺していた。
 惚けたような表情に気付いたのかどうか、隣に立った福富はちらりとこちらを見た後、視線を上げた。

「毎年思うが、見事な桜だ」
「そ、うだね」

 しばしの間、お互い言葉を交わさずに、桜を見つめていた。気づかれないように隣を盗み見る。少し上を向いた福富の横顔はいつもと変わらず精悍だ。部員の多い部活に所属していた彼には多くの友人がいるだろうが、こうして横に立って見ても、その横顔は別れの寂しさなど微塵も感じさせなかった。
 意志の強さが一目で分かるその姿がずっと好きでいたのだ。
 親しいクラスメイトのような、友人と呼んでいいのか一瞬迷うような距離を、それ以上縮める勇気を持てず時を過ごしてきた。もうそんな日々も、終わりなのだ。時折桜の花びらが舞い落ちる中にたたずむ姿を間近で見ると、心底そう感じた。
 こうして最後の日に偶然二人になれたのだ。自分にだけ分かる形ででもいいから、お別れをしなければいけない。ふいにそう思った。

「あのさ、よかったら一緒に写真撮ろうよ」

 思ったよりも、するりと声が出た。きっと、この新しい季節の息吹きに背中を押されたのだ。驚いたようにこちらを見る目にどこか吹っ切れたような気分になって、悪戯っぽく笑った。

「最後だしさ、記念に」
「……ああ、構わない」
「よかった!」

 桜の木の下で、肩を寄せ合って。最初に自分のカメラで写真を撮り、次にお互いの携帯で。

「ありがとね、後でカメラのファイルも送るよ」
「ああ、助かる」
「きっと将来自慢することになるよ、これ。あの有名なロードレーサーの福富選手と同級生だったんだって」

 少しおどけたような口調で手に持ったカメラを振った。最後の最後まで素直になれず、純粋な気持ちから写真を撮りたかったと言えない自分が情けない気もしたが、これで良かったのだ。会える最後の日に告白などという言い逃げをしてしまえば、それはずるいから。
 確かめてみた液晶の向こうの自分は、思ったよりも晴れやかに笑っていた。物として残る形で区切りを付けるというのが良かったのかもしれない。
 ね、と同意を求めて見た福富は何故かいつも以上に仏頂面をしていた。今の言葉に怒ってしまったのだろうか。
 戸惑いながらももう一度声をあげようとする前に、彼は口を開いた。

「俺は、隣に映っているのは自分の彼女だと自慢したい」
「……へ?」

 福富は鉄仮面を複雑そうな顔に変えた。

「本当は、俺から写真を撮ろうと誘おうと思っていた」
「ふ、福富くんから?」

じわじわと熱くなるこちらの顔に気づかないまま、福富は言葉を続ける。

「ああ、お前から言ってくれるとは思っていなかったからな。そして撮った後に告白しようと思っていた」

真っ直ぐに見つめる眼差しに、身体が震える。

「おかしな順序になってしまったが、そういうことだ。お前が好きだ。付き合ってほしい」

 否と言う理由はどこにもない。別れのために撮ったはずの写真は、始まりの一枚となりそうだ。
 頬を桜の花と同じ色にして頷きながら、そう思った。