3つの記念日

 朝起きたら、居間に雛人形が飾られていた。昼、お母さんに頼まれて買い物に行ったらレジでひなあられをもらった。夜、食卓に並んだのはちらし寿司だった。どれを見ても、の脳裏に繰り返し浮かぶのは同じ一つの事だった。
 今日は、福富君の誕生日だ。

 夕飯の後、歯を磨いたりお風呂に入ったりなんだりしていれば時間はびっくりするぐらいあっという間に過ぎる。さっきから見つめているスマホの時刻は今日という日があと数時間で終わりを迎えるということをに教えていた。
 桃の節句は女の子の健やかな成長を祝う日だけど、正直ひな祭りなんてものはにとってここ3年そう重要な行事じゃない。箱根学園に入って以来、3月3日が重要なのはそれが福富君の誕生日だからという一点においてのみだった。しかも、今年は特に大事だ。なんでかって、高校生活最後のチャンスだから。
 去年と一昨年はただの同級生から急に誕生日祝われたら気味悪がられるんじゃないかという思いから、結局何もせずに1日が終わってしまった。学校が終わって家に帰った後もメッセージを送ろうかと本当に1日悩んだのだけど、悩んでいるうちに気付いたら日付が変わっていた。それが2年連続だ。そして今年は受験の年だから、3年のたちはそもそも授業が無くて学校にすら行ってない!
 でも相談した友達に「考えすぎだよ。誕生日を祝われて嫌な気分する奴なんていないよ」と言ってもらえた今年は、今年こそはそんなわけにはいかない。まあ朝からそう思いながらも結局夜になるまで何も行動を起こせてないんだけど。でも、やらなくちゃ。福富君になんか変な奴だ、とか思われてもいい。……いや、本当は嫌だけど……。でも、福富君が生まれた日がめでたいって思ってるってことを伝えられるなら。
 そう思って、は遂にSNSアプリの画面に打ち込んだままだった「誕生日おめでとう!」というメッセージをえいやっと送信した。ぽこ、とメッセージが緑色の吹き出しで画面の一番下に現れる。
 うわー!わー!ついに送ってしまった!
 一人の部屋で、出来るだけ押し殺した声で「うわ~!!」と叫びながら寝転がっていたベッドをごろごろ転がる。もう取り返しはつかない。
 大きな達成感とほんの少しの後悔が入り混じった気分で、返信を待とうと一度アプリの画面を消そうとしたら吹き出しの左隣に【既読】の文字が表れて、ひゅっと喉が鳴った。早い!もっと後に反応されるかと思ったのに!
 どうしよう、一度会話画面を閉じるべきだろうか。福富君が返信を送ったすぐ後にの既読がついたら、ずっと画面を見ていたなんて気持ち悪い奴だ、とか思われてしまうかもしれない。わたわたとしながら見ていた画面に急に福富君のプロフィール画像(かっこいい愛車)と受話器のアイコンが表示されて、今度こそはパニックになった。
 なんで、なんで!なんで電話してくるの!
 どうしろっていうの。混乱のあまり泣きそうになって意味も無く部屋を見回した。それでも着信音は鳴りやまない。決心してなんとか通話ボタンを押して耳にスマホを近づける。情けないことに、声を出そうと息を吸った喉の奥が震えた。

「も、もしもしっ」
「もしもし、か? 急にすまない」

 久々に聞く低い声に心臓がぎゅうっと締め付けられた。聞き違えるはずもない。当たり前だけど、いつも通り静かで冷静な、大好きな福富君の声だ。この声を聞く度に、何度も何度も福富君のことが好きだなあと心から実感してしまう。今回もしみじみとその想いに浸っている所に今大丈夫か、と聞かれて慌てて頷いた。見えてるわけはないんだけど。

「う、うん! ごめん、急にかかってきたからちょっとびっくりしちゃって……」
「ああ、すまない」

 もう一度謝ると、福富君は少しの間口をつぐんだ。

「……オレも、驚いた」
「え?」
「まさか、から祝ってもらえると思っていなかった」

 ありがとう。
 びっくりするくらい優しい声音に数秒呼吸が止まった。
 ……いや、心臓に悪い本当に。こんないい声を耳元でずっと聞いてたら寿命が縮まってしまう。

「こ、こちらこそ、わざわざ電話してくれてありがとう。あの、本当に誕生日おめでとう! むしろ、日付ギリギリになっちゃってごめんね」
「いや、構わない。それより、オレの誕生日を知っていたんだな」

 それはもちろん!好きな人の誕生日なんだから!と言いたいところだけど、もちろんそんなことを口にする勇気はない。本当のところを隠して「ずっと同じクラスだったからね」と返すと、福富君は「そうか」と簡潔な返事をよこした。

「オレは交友関係が広いわけじゃない。家族と部活の連中くらいにしか祝われることがなくてな」

 なるほど、と思うと同時にほんの少し胸の奥が痛んだ。ありがとうって言ってくれたのは、がお祝いしたからってより、家族や部活の仲間以外からの言葉が新鮮だったからってだけなのかな。

「誰かに聞いたのか?」
「ん?」
「オレの誕生日がいつなのかを」

 勝手に落ち込んでいたところに投げかけられた質問に言葉に詰まった。
 さすが福富君、鋭い。確かには偶然誕生日を知ったわけじゃない。彼は寡黙で、自分から誕生日の話をするような人じゃない。かといっては本人に聞く勇気があるわけじゃないから、実を言うと1年の時に新開君にこっそり聞いたのだった。

「ま、まあそんなとこ……」
「何故だ?」
「え!?」

 まさかそこを突っ込まれるとは思わなかった……!もしかして、自分が教えたわけでもない誕生日を知っているを不審に思ってるんだろうか。いや、でもさっきありがとうって言ってくれたし……どう答えるべきか分からず悩んでいるの返事を答える前に、福富君はまた話し出した。

「オレは、あまり愛想のいい人間じゃない」
「え?」
「……ただのクラスメイトが祝ってくれたくらいで、電話をかけたりはしないと言っているんだ」

 スピーカーから響く声はいつも通り静かで冷静で、恐れていたような怒った響きをまとってはいない。でも、同時にいつもよりどこか熱がこもっているみたいで。

「それ、は」

 話の流れに、思わず期待してしまいそうになる。福富君が、だから「ありがとう」と言ってくれたんじゃないかと。だから、電話したんだと。
 どもるに、福富君は「なあ、」と呼びかけた。

「オレは期待していいのか? が誰かからわざわざオレの誕生日を聞いて、祝おうと思ってくれたことに対して」

 顔もスマホを持った手も、熱が出たみたいに熱くなる。顔から火が出そうなくらい恥ずかしいけど、同時にスマホの向こうにいる福富君の顔が見たくてたまらなかった。電話じゃなくて、目の前に福富君がいたらよかったのに。そしたら今、どれだけが嬉しいのか伝わったのに。

「……うん」

 息を飲んだような音の後に聞こえたため息は、自惚れでなければ安堵の響きをまとっていた。

「そうか」
「……実は、去年も一昨年もおめでとうって言いたかったけど勇気が出なくて言えなかったって言ったら困る?」
「……自惚れてしまいそうだな、ずっと両思いだったと」
だって」

 3月3日は雛祭りで、福富君の誕生日。……そして今年から、と福富君の新しい記念日だ。