相似を望まず

「もう本当に靖友くんは意地悪だなー」
「は?」
「あっ」
「えっ」

 和やかだったその場の空気が一瞬で氷点下まで冷やされて北極になるのを、僕はアンディとフランクに教えてもらわずとも理解した。

「先輩今俺のことなんて呼びました?」
「……」
「なんて呼んだか聞いてんだけど」
「ユ、ユキ」

 あまりに怒った声音に思わず名前を呼んだけれど、据わった目で見られて口を閉じた。お前は黙ってろ、と言葉はなくとも言われている。どうしよう、こんなに怒ったユキを見るのは初めてかもしれない。

 さっきまで、ついさっきまでユキと僕と引退してから久しぶりに部室に遊びに来た先輩の三人で楽しく話してた。 最近よく中学生が部活を見学に来る、とか相変わらず葦木場はボケた事を言ってるとかそんな他愛のない話。でも素直じゃないユキは途中で自分が先輩が遊びに来てくれた事で浮かれているのが恥ずかしくなったのか、急にぶっきらぼうになって「こんな所で油売っててアンタ受験は大丈夫なんですか」と言った。照れ隠しだってことが分かってる先輩は怒ることもなく笑ってくれたけど、そこでさっきの爆弾発言が飛び出したわけだ。

「く、黒田くん」

 ようやく口を開いた先輩の声は可哀想に、もしかしなくても震えていた。しかも嘘だった。

「何大嘘ついてんだよ思いっきり「靖友くん」って言っただろ」

 なあ塔一郎 、と恐ろしく冷たい声でふられて思わず姿勢を正した。なんと言おうか迷っているうちにユキはまた言葉を続けて、特に同意を求めているわけではなかったんだと理解した。 ユキ、怖いよ。

「彼氏の名前を違う男と間違えるってどういうことですか?アンタそんなナチュラルに名前出てくるぐらい荒北さんと一緒にいんのかよ?俺が部活やってる間に?」
「やっ、ちょっと呼び間違えちゃっただけで」
「ちょっとってなんだよ! 寝言で違う男の名前呼ぶくらい罪深いことしたんだぞ! 分かってんのか!?」
「ちょ、ちょっと落ち着けユキ!」
「落ち着けるワケねえだろうが!!」

 なだめようと肩にかけた手は間髪入れずにはたき落とされて、ユキはますますヒートアップしていく。 ほとんど怒鳴っているといってもいいユキに、先輩はだってえ、と情けない声をあげた。

「最近の黒田くん靖友くんに似てるんだもん!」

 突拍子もない言葉に一瞬固まった後、ユキは一層眉間にしわを寄せた。

「どこがだよ! 意味分かんねぇ!!」
「そういうところ!」

 ハア!?と憤慨したように先輩を睨み付ける姿に荒北さんを重ねてみる。……あれ、確かに

「言われてみると」
「塔一郎まで何言ってんだよ!!」
「いや、でも確かに喋り方とか、確かに似てきてるぞ」
「~ッ! なんでよりによって荒北さん……! ふざけんなよ似てるなんて絶対に認めねえ!!」

 よりによって、ってユキは荒北さんを尊敬してたはずだ。どうも腑に落ちない言葉に先輩も首を傾げてる。
 少し考えて、ふとある事に思い当たった。

「ユキ、もしかしてお前あの噂気にしてるのか」

 ビクリと銀色の頭が揺れる。もしかしなくても図星だ。だからか……
 合点がいって納得する僕を困惑した目で見つめて、「噂って何?」と先輩は不安そうに尋ねた。……できることなら言いたくなかったけど、仕方ない。依然不機嫌な顔をしたユキを見て、ため息をついた。

「……2年の間で先輩と荒北さんは前に付き合ってたことがあったんじゃ、って噂になってたことがあったんです」

 隣の銀髪頭から特大の舌打ち一つ。隠すわけにもいかないだろうに。対して先輩は目を丸くして口を開けた。

「何それ初めて聞いたよ!?」
「まあ噂ってそういうものですからね……」

 話が大きければ大きいほど本人の耳には入らないものだ。まあでも今の反応で噂は本当にただの噂だったことが分かった。先輩の目には狼狽も焦りもない。単純な驚きだけ。

「だからユキは先輩が自分と付き合ってるのは荒北さんと似てるからじゃないのかと不安になったんですよ」
「オイ余計なこと言うな!」
「でも事実だろ」
「わ、私黒田くんが初めての彼氏だよ!」
「ほら、ただの噂だったんだ」

 機嫌なおせよ、と軽く小突くとユキは渋々といったように口を開いた。

「……オレまだ怒ってますからね」
「うん、ごめんね。ちょっと最近靖友くんに似てきたからぽろっと言っちゃったけど、黒田くんの方が何倍もかっこいいよ」

 ぐぬぬ、みたいな声でユキが唸る。どうにかして怒りを保とうとしてるみたいだけど、髪の間から見える耳がほのかに赤い。堪えきれず笑いをもらすと、ユキは僕の方を向いてウルセエ!と叫んだ。

「それから! 荒北さんのこと靖友くんって呼ぶならオレのことも雪成って呼んでください」
「えっそれは無理」
「はあ!? なんでだよ!」

 また爆発しそうになるユキに、先輩から止めの一言。

「だって恥ずかしいもん!」

 真っ赤な顔で絶句するユキに僕が爆笑するまで1秒。照れ隠しにユキが僕に殴りかかるまであと3秒。