融解する寒色

 なぜ、心を広く持てないのだろう。
 些細なことでどうしようもなく気分が落ち込んだり、不機嫌になったり、人に当たってしまったり。性格なのだと言ってしまえばそれまでだが、余りにも情けない。どうすれば変われるだろうと今までの言動を思い返すうちにまた落ち込んでしまうのだからどうしようもない。言動のせいで友達も多くはないし、心を開いて話せる相手もあまりいない。そんな自分に心から大切だと思える恋人ができたのは、本当に奇跡に近いことなのだろうとは常々思っていた。
 いつも明るくて大らかで元気で、自分とは正反対で。そんな田所の姿は眩しくて、両想いになれた今でも隣に立つのも足が竦むぐらいだ。彼と一緒に居れるのは、とても嬉しいことなのに。口に出した後に自分の発言や行動を後悔するのはいつものことだけれど、今日はとりわけ酷かった。

「……やっちゃった」

 インターハイはたったの一ヶ月後だ。この時期部活に入れ込むのは、当たり前のことなのに。前にしていた、部活後に一緒に買い物に行くという約束を、やはり自主練時間を伸ばしたいからという理由でドタキャンされて、腹が立って思ってもいないことを言ってしまった。
 項垂れて独り言を呟いても、酷いことを言い捨てて田所の前から走って逃げた事実は変わらない。家に帰る気も起きなくて、部室から走って辿り着いたのは自分のクラスだった。空っぽの教室は毎日通う場所なのに、一人きりだとひどく寂しく感じた。

 ぼーっと机に腰掛けるうちに気分がどんどん沈んでいった。今頃田所は、部活で一生懸命に車輪を回しているだろう。すぐに暴言を吐く女になど構う暇は無いのだ。
 一番嫌われたくない人なのに。一番大切な人なのに。一番、自分の汚い部分を見せたくない人なのに。愛想を尽かされたらどうしよう。もうお前の顔なんて見たくもないと言われたら。考えるだけで心臓が痛んで手の先が冷える。それならば最初から言わなければいい、とはいつも思うのに。不安と後悔は膨らみ、胸を圧迫する。

 思考の海に溺れそうになった時、廊下の方から慌ただしい足音が聞こえるのに気づいた。もしかして、まさか。考えたところで、首を振った。こんな自分勝手な女を迎えに来てくれるわけがない、そう思ったのに。

「じん、くん」
「よかった……! やっぱりここにいたか」

 数秒置いて荒々しく教室の扉を開けたのは今まさに考えていたその人で、声が震えた。走り回って探したんだぞ、と言って駆け寄る姿は幻ではないのだろうか。何度も瞬きをして、目の前の現実を確かめた。

「先に部室行ってた金城と巻島にお前のこと見なかったか聞いたんだけど見てねーって言われてよ、早く見つけてやれって怒られた」
「なん、で」

 なんで、こんな自分を探しに来てくれたのか。田所は悪くなんてないのに。

「そりゃそのまま忘れて部活行けるわけねえだろ!約束破ったのは俺だしな」

 ごめんな、と髪を撫でた手はそのまま滑り落ちて優しく頬を撫でた。

「迅くん、わたっ、私」

 ごめんなさいだとか、ありがとうだとか、言わなければいけないことはたくさんあるのに。情けなさと不甲斐なさと、何よりも嬉しさで胸がいっぱいになって言葉がうまく紡げない。
 涙を流す資格も無いのにどうしようもなく喉が震えて、目頭が熱くなる。要領を得ないことを呟くの頭の後ろに腕を回して、田所は震える体を抱きしめた。

「言わなくても分かるからよ、」

 落ち着くまで待ってやる。
 穏やかな声と暖かい体にとうとう涙腺が決壊して、は田所の背に回した手で制服を強く掴んだ。ああ、本当にどこまで彼は優しいのだろう。

 今は、今だけは情けなく泣いて、落ち着いたらちゃんと謝ろう。そうしたら、もう少し胸を張って隣に並べる気がするから。