考えてみれば、最初からおかしい所はあった。気づかないふりをしていたのは、いつの間にかあいつを気にしていたからだったのかもしれない。
「今日は平和ですねぇ」
「平和にこしたこたねェだろ」
「まあ、そうですね」
いつもと変わりない江戸の町を、俺とは見回りしていた。は少し前に真選組に加わった男だ。総悟より更に小柄だが滅法強く、短い期間であっという間に俺の補佐にまでなっていた。
は小柄なだけでなく、物腰が柔らかいところが特徴だった。物静かなわけじゃなく、どちらかと言えば元気な奴だが、それでもちょっとした言葉遣いや仕草がきちんとしている。ガサツじゃねェんだ。整った顔立ちも併せりゃ、むさ苦しい無作法な男どもばかりの真選組の中では珍しい部類で、新人でありながら市民にちょっとした人気があった。優男と言えば、総悟も顔だけ見りゃ優男風だが、中身はぶっきらぼうどころかとんでもない野郎だ。みたいに内も外も爽やかな男は本当に珍しいと言えた。更に言えばその明るく天真爛漫なところに、最近は時折憂いを帯びた表情をすることがあって、町娘には余計に人気があった。剣は強いが線が細く、優しくて少し影がある。若い女の理想を形にしたような奴だが、そこに気取った部分は無い。そんなんだから、他の隊士連中にも弟のようにかわいがられ構われていた。かくいう俺も、総悟と違ってかわいげがあり人懐っこいにそれなりに目をかけていた。
ふと腕時計を見ると、時刻は十二時近くになっていた。周りを見渡せども面倒ごとの匂いは感じられない。煙草の煙を一つ吐いて、隣の男に声をかける。
「もう昼飯時か。どっか入って飯食うか」
「はい!」
は笑って、頷いた。
「……お前、何かあったのか」
そう、笑ってたはずだったんだがな。飯を食い終わって茶を飲むの横顔は、ここ最近よく見る、どこか遠くを見るような目つきをしている。それに気づいて声をかけると、ははっとしたように顔を上げて俺を見た。
「すみません、俺変な顔してましたか?」
「変っつーかな。最近よく、考え込んでんだろ」
目を見張って、は少しの間固まった。気づかれているとは思っていなかったようだ。
「俺でよけりゃ話を聞くぞ」
逡巡するように視線が泳ぐ。何度か口を開け閉めした挙句、はどこかぎこちない笑顔を作った。
「自分で解決するんで、大丈夫です。でも、ありがとうございます」
「……そうか」
もう半年一緒にいるんだ。少しは気を許してほしいモンだが、誰にだって色んな事情がある。これ以上踏み込むのも野暮だろう。俺はそれ以上聞くのをやめて煙草に火をつけた。
だが、結局のところの悩みが分かったのはそのすぐ後だった。
一服を終えて店の会計をしていたところ、外から騒ぎ声が聞こえた。歓声の類でなく、怒声や罵声だ。急ぎ店を出ると、道に人だかりができている。中心では天人同士の喧嘩が起きていた。
「おい、何してんだ!」
声を張り上げて、野次馬をかき分け取っ組み合っている二人になんとか近づく。俺が片方の天人の肩を掴み引き剝がそうとするのに合わせて、後ろに続いていたももう一人の腕を掴んだ。
「二人とも落ち着いて! 離れてください!」
「うるせえ!!」
激昂した天人が腕を振りかぶる。猫のような見た目をしたその男の爪は鋭くとがっていて、の隊服の前を引き裂いた。
布の引き裂かれる悲痛な音が響き、瞬間息を詰める。だが爪はの身体にまでは届いていなかったようで、奴はひるむことなく天人の懐へと飛び込んだ。鞘を付けたままの刀を腰から抜き、柄を勢いよく男の顎に打ち込む。柄頭によるアッパーをくらった男は、昏倒して地面へと倒れこんだ。
もう一人を羽交い絞めにしてその様子を見ていた俺は、安堵に息をついてからに声をかけた。
「よくやっ、た、な……」
他の奴らと同じ時に銭湯へ行こうとしない。暑くとも絶対にベストを脱がない。やたらと手足の節が細い。おかしいとは思っていた。思っていた筈だったんだ。
今更なことを、反芻する。
ボロボロになったベストとシャツの下に、はさらしを巻いていた。
俺が不自然に言葉を途切れさせたことには不思議そうな顔をしていたが、はたと自分の胸元に目をやった。
みるみるうちに、の顔が青ざめていく。震える手でわななく口を覆い、男は──女は、後ずさる。そのまま俺から背を向けて、は走り去った。
人混みに紛れて、小さな背中はすぐ見えなくなる。二人の喧嘩っ早い男達と残された俺は、何も言えずただ女の消えた方を見ていた。
・・・
それから数日後。俺は屯所自室で、一組の男女と向かい合って座っていた。
「本当に、申し訳ございませんでした……」
俺の向かいで正座をし、手をついて深々と頭を下げるは女物の着物を身に着けている。横に置いてある紙袋には、恐らくだが洗濯された制服と菓子折りが入っているんだろう。
とは対照的に、その隣にあぐらをかいて座る銀髪の男はいつもと変わらず腹立たしい程に気の抜けた表情で鼻をほじっていた。
この二人の関係は先程聞いた通りだ。驚くことに、似ても似つかない二人は兄妹らしい。
「別にそんな謝らなくてよくね? お前別にこいつらに迷惑かけちゃいねェだろ」
間延びした万事屋の声に、深く上体を伏せていたは勢いよく顔を上げた。常とは違い薄く化粧を施された細面が兄を睨む。
「かけたよ! 嘘をついて真選組に入って、逃げるように脱退して……迷惑しかかけてない」
その控えめに煌めく目元に、染められた唇に、改めてこいつは女だったのだという厳然たる事実が鋭く俺を貫いた。なんで気づかなかったんだとすら思う。どこからどう見ても、は年頃の娘だった。
「……とりあえず、なんで真選組に入ろうと思ったのか話してくれ」
一番気になっていたことを聞くと、は打ちひしがれた顔で目を伏せた。
「最初は、単純に気になって、見てやろうって気持ちだったんです。兄が真選組の事を……特に副長の土方さんのことを、むかつく奴等で税金使いこんで遊びまくってるって電話でよく話してたから」
このクソ天パ野郎……!
怒りを込めて相変わらずのほほんとした顔の万事屋を睨んだ。何も知らない純真な娘に何を吹き込んでんだこの男は!
「丁度用心棒として働いていたお店が閉店してお暇を頂いたので、いい機会だし江戸に居る兄の所に移ろうと思って」
それが半年前だったってわけか。続いたの説明に、するすると色んな事が繋がっていく。
前から剣の強さで身を立ててたわけだ。道理で女だてらに恐ろしく強かったわけだと合点がいった。
「でも、入ってすぐ隊士の皆さんが兄の言っていたような人たちじゃないってことは分かりました。兄よりよっぽど真面目に働いていて、一生懸命江戸の平和を守っているって」
それまでぼけーっとした面を晒していた万事屋は、そこで初めて焦ったようにを見た。
「ちょっと、さりげなくお兄ちゃんを貶さないで」
「きちんとした人達だということは分かったのだからもう居る必要は無いし、すぐに自分が女だってことを正直に話して真選組を出ようと思っていたのに……いつの間にかこの居場所が心地よくなっていて……」
女はぐるりと周りを見渡した。ひどく寂しげで、切ない顔だった。感傷を振り切るように首を振って、はまた俺の方を向く。
「本当に申し訳ありませんでした。頂いたお給金も全てお返しします。更に払うべきものがあれば、それももちろん」
「無視しないでよお!」
情けない顔で縋ってくる兄をは完璧に無視している。しっかりと俺の目を見つめて、そのまま言葉を続けた。
「もちろん、お金だけで済むことではないと分かっていますが……」
「待て待て、ちょっと待て!」
また顔を下げて深く礼をしたを慌てて止める。
「確かに驚きはした。規律違反でもある。だが、そこまでされることじゃねえ」
もちろん俺もまったく何も感じていなかったわけじゃないが、ここまで下手に出られるとは思っていなかった。からは、嘘偽りない後悔と反省の気持ちが伝わってくる。本人が心から悔いているなら、俺が更に詰る必要などあるまい。
「真選組が女人禁制の組織であることは変わらない。女だと知った今、これから先お前を隊士として受け入れることはできない」
眉を寄せて、は頷く。とっくに覚悟していたことだったろう。
「だがな。女だろうが、お前が半年間真選組の一員として江戸の治安を立派に守ったことは事実だ」
初めて、は虚を突かれたように目を丸くした。反対に万事屋の方はしたり顔で得意げだ。
「ほらな。そんな謝んなくていいって」
「てめーは黙ってろ!」
元はと言えばこの天パ野郎があることないこと吹き込んだせいでは俺達に対して悪い印象を持ったんだ。睨みつけると、万事屋はすいと目を逸らした。
「ともかく……胸を張れ。お前は立派な隊士だった。そこに嘘はない」
「土方さん……!」
感極まったようには一度ぐっと息をつめる。
「罪に問われても仕方ないようなことをしたのに……」
「きっかけはなんであれ、真選組に入ってからは真面目に任務をしてたろ。それが分からねェほど俺の目は節穴じゃねえ」
真面目に仕事をこなし、よく俺の補佐をしていた。が女でも、それは変わらない事実だ。そう言うと、はまた深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます。これからは兄の下で万事屋を手伝おうと思っていますが、真選組の皆さんを応援しています」
「ああ。もう頭上げろって」
ゆっくりと頭を上げたは、どこかまだ気後れしたような顔をしている。首をかしげて言外に尋ねると、娘はおずおずと俺を伺った。
「あ、あの……もし良かったら、これからも時々屯所に遊びに行ってもいいですか……?」
そういうことか、と合点がいく。せっかくできた仲間だ。縁を切るのは寂しかったんだろう。
「もちろんだ。野郎共も喜ぶ」
俺が大きく頷くのを見て、はようやく晴れ晴れとした顔で笑った。
「ありがとうございます!」
緊張で張り詰めていた糸が緩み、雪が解けるように頬が色づく。初めて見るその穏やかな笑顔に、俺は一瞬息をつめた。はこちらの動揺にまるで気づいていなかったが、隣に座る兄貴の方は流石に目敏い。
「こンのマヨネーズ野郎……」
低い声で万事屋が唸った。言外に「かわいい妹に手を出したら殺す」と告げている。
慌てて目を逸らし咳払いする俺を不思議そうに見つめるは、もう間違いようもなくかわいらしい女にしか見えなかった。
ロマンスはここから