いつか栞になるだろうか

、六平君のことが好きで、その……付き合ってほしいです」

 こちらを見上げるの目は、きらきらと光っていた。比喩ではない。ほんの少しの涙が瞳に薄い膜を張り、光を反射している。ゆらゆらと目の縁で揺れる輝きはあと少しのところで零れ落ちるのを耐えていた。
──眩しい。よく晴れた日に空を見上げ、思わず顔の前に手を翳すような心地で、千鉱は、脈絡もなくそう思った。これは比喩だ。

 妖術師と戦っている所に一般人のを巻き込んでしまい、それを助けた。千鉱としては当たり前の行動だったが、彼女はいたく感謝して、千鉱と連絡を取りたがった。物騒なきっかけにより、ちょくちょく会うようになった少女は千鉱にとっては珍しい同年代の友人だったが、彼女から聞く学校やアルバイト先の話は彼にはどこか白昼夢のように思えた。今もそうだ。しっかりと自分宛てに告げられた好意を示す言葉が、何故か現実味無く耳を打つ。

「……ありがとう」

 違う。思いが違う。立場が違う。──生きる世界が、違う。瞳を潤ませて自分を見上げる少女に、どうしようもなく理解させられる。青空の下、制服を着てスクールバッグを持っている彼女は正しく太陽の下にいるべき人間だ。緊張からでか、綺麗に整えられた彼女の指先はかすかに震えている。その爪の下に本人以外の血が入ったことなどないのだろう。

「でも、付き合うことはできない。ごめんなさい」

 しっかりと目を見つめてから、頭を下げた。
 にとっては明日の学校での授業、友人との会話や自分への淡い好意が世界を形作っている。それはとても尊いことで、守られるべき日常なのだろう。けれど千鉱が居るのは明日生きるか死ぬかも分からない世界だ。どちらが悪いだとか、何が悪いだとか、そういった話ではないのだ。嫌いではない。それは確かだ。けれど好きになるだとか、そんなことを考えつくにはあまりにも互いの居る世界も、見る景色も異なっていた。

「……わかった。答えてくれてありがとう」

 思ったよりも落ち着いた声が返ってきて、千鉱は頭を上げた。はそこまで驚いた顔はしていなくて、少しだけ安堵する。泣かれることを覚悟していたが、彼女もある程度断られることを予想していたのだろうか。
 少女は一つ息をつき、目元に指を這わせて少し滲んでいた涙を拭い去った。

「…………あのさ、今は断られちゃったけど……これからも……好きでいてもいい?」

 告白された時と同じくらいに虚を衝かれて、返答に困る。告白自体より余程難解な提案だった。想いに応えることはできない。だからといって、誰かの感情を禁じたりする程の権利が自分にあるのだろうか。──繋ぐことはできずとも、思いを持つことは自由なはずだ。誰だって。

「……好きにしていいよ」

 悩んだ挙げ句口にした言葉に、彼女はぱっと顔を明るくした。また、自分とは別世界の眩しさに目を細めたくなるような心地になる。

「いいの? 本当に? じゃあ、頑張るね」

──頑張る?
 予想だにしなかった言葉に困惑しながらも、勢いに押されて千鉱は何も言えず押し黙る。今度こそ本当になんと返せば良いのか分からず迷いながらも一つ頷くと、少女はひまわりのような笑顔を千鉱に向けた。

──自分は、太陽などではないのに。


 その後も、彼女は千鉱に対する態度を特に変えなかった。好きだとあからさまに分かるようにするわけではなく、だからといって気まずそうに距離を取ったりもしない。ごく自然な、友人の距離感だ。
「好きなままでいてもいいか」と聞かれたことが嘘のようで、千鉱はもう彼女が吹っ切れて前に進んだのかとすら思った。けれど時折、その瞳がほんの少しの熱を持って自分を見るのに持ち前の鋭さで気づいて、あの時の彼女の言葉と感情は今もまだ確かにあるのだと理解した。

「健気やなあ」

 告白から半年ほど経った頃だったろうか。喫茶ハルハルに訪れた千鉱と話してから帰っていったの後ろ姿を見て、柴がそうぽつりと零すのを耳が拾った。呆れているようにも、哀れんでいるようにも、慈しんでいるようにも聞こえた。その全てを含んでいたのかもしれない。誰に聞かせるつもりでもなかったであろう小さなその呟きは、千鉱にはやけに大きく聞こえた。
 に告白されたことは誰にも話していない。柴も、何かあったのかと聞いてきたりはしない。それでも何か感じ取ってはいたのだろう。第三者からまだ彼女が自分への慕情を大事に抱えていることを思い知らされると、余計に苦しかった。

 ある日また花が咲きこぼれるみたいな笑顔を浮かべて自分を見た彼女に、千鉱の胸を占める苦しさは限界を迎えた。以前柴の呟いていた言葉が頭に浮かんで、息苦しい喉を更に狭める。

「──俺は君の思いに水もやれないし、光もあげられない」

 直前の会話とは何も関係のない言葉だった。真綿で首を絞められるような心地に喘いで零れ出た、謝罪めいた音だ。
 その恋に栄養を与えることはできないし、する気もない。そうお互いに分かっていて、枯れるのをじっと待つのは──それが自分のせいで枯れるのだと知りながら横目で眺めるのは、ひどく苦しかった。
 唐突な言葉には一瞬目を見開いたが、一拍置いて納得したように目を細めた。

「俺が出来ることなんて、切り落とすくらいだ」

 鋭く研がれた刃で花を茎ごと断ち、何もそこから上ってこないように。

「でも、踏みにじったりはしないでしょう」

 やんわりと、けれどきっぱりと返された言葉に千鉱は瞠目する。改めての拒絶に、は動じていなかった。

「そういうところが好きなの。そういう、優しくて……ちょっとだけ、ずるい所」

 あの日のように涙を零すかと思ったは穏やかに笑っている。さみしさを含んだ笑顔だったが、泣きそうには見えなかった。

「……ごめん、分かってるんだ。こそ、ずるいことしてるよね。六平君が『好きにしていいよ』って言ってくれたからって」

──ずるいこと。確かに、そうなのかもしれない。千鉱が想いに応えられず、罪悪感を持っているが故ににそれとなく優しく接することを彼女は理解している。また告白する事はないけれど、その優しさと罪悪感に甘えている。
 同時に、あの時すっぱりと「もう好きでいるのはやめてくれ」と言わなかった千鉱の行動も、今考えれば正解ではなかったのだろう。本当にのためを思うのならば、彼女を完全に拒絶して、その後はきちんと距離を取るべきだった。もしまた友達になりたいのならば、彼女の想いが息絶えるまで待ってからまた親しくすべきだった。互いの少しのずるさが、今のこの状況を生み出している。

「それなのに私を責めないで、自分ばっかり悪くて申し訳ないって顔する。おまけに、花にまで例えたりして」

 目を伏せて、は笑う。あの日自分とは全く異なり純粋に見えた彼女が、今は自分より大人びて見えた。

「こんな独り善がりな気持ちを花に例えていいか分からないけど……六平君がそう思ってくれてるなら言うと、はもう水も光もいらないの」
「……本当に?」

 が『頑張る』と言ったのを、千鉱はよく覚えている。あの時は困惑してしまったが、今なら分かる。千鉱にいつか好きになってもらえるよう頑張ると、彼女はそう言っていたのだ。は、少年の問いにしっかりと頷いた。

「うん。……最初は、欲しかったよ。でも、難しいんだろうなってもう分かったから」

 もう、二人が知り合ってからが告白した日までの期間より、告白があってからの方が長い。あの時よりも更に互いを知っていって、彼女は千鉱と自分の世界が違うことを理解したのだろう。

「そうだなぁ……今は押し花を作ってる最中ってところかな」
「押し花?」
「うん。この気持ちが──切り花が枯れて汚く萎れる前に、綺麗なまま保存しておく為の準備をしてる。押し花もいつかは枯れるんだけどね。でも、ちょっとはマシな姿で終わりたいでしょ」

 少し色褪せた黄色い花が、厚みを減らして本の間から覗いている。の言葉に、そんな光景が目に浮かんだ。本を持つ彼女は俯いていて、どんな顔をしているのかは分からない

「もうちょっとしたら、完全に乾くから。そうしたら好きでいるのも、きっとやめられるから。……多分、だけど」

 だから、もうちょっとだけ我慢してね。
 あの日「頑張る」と言われた時のように、なんと返せばいいか分からなくなる。今回こそは頷くのが正解なのだろうか。迷った挙げ句、千鉱はまた何も言わず、けれど頷きもしなかった。ただ沈黙を返事とする彼に、は満足したように自分で頷いた。

「六平君から見て、ってどんな花のイメージなの?」

 こんな事聞くのもずるいかな、とまた少しだけ笑いつつ、は首を傾げて千鉱を見る。そんなの、ずっと前から答えは決まっている。

「ひまわり」
「ああ、それなら余計に押し花にした方が良いね。ひまわりって、枯れると結構不気味なんだよ」
「……そうなんだ」

 もうすぐ梅雨が終わり、大輪の太陽が幾重にも咲き誇る夏が来る。
 彼女の恋が乾いて色褪せ綺麗な思い出となった頃、自分はどのような気持ちでその姿を眺めるのだろうか。うまく想像できないまま、千鉱は雲の多い空を見上げた。