寂寥、淡く
単行本8巻未収録分本誌(81話以降)ネタバレ注意
初めて会うのにどこか懐かしい気分になったのは、よく知った人物の愛する人だったからかもしれない。
玄関扉を開けて出てきた女は、まだ若かった。きっと自分より歳下だろうと思いながら、漆羽は軽く頭を下げた。
「はじめまして、伏見サン」
いつだって、誰かの死を愛する者に告げるのは最悪の気分だ。訝しげで、不思議そうだった顔がこちらの言葉を聞く内に固まって、強張って、震える。困惑と拒絶と絶望が一気に押し寄せて、その人の心に荒波を立てるのがまざまざと伝わってくる。崩れ落ちる姿を見るのは、いつだって辛い。
何度もした経験をまぶたの裏で反芻する。話を始める前から喉の奥より異物が這い出るような苦しさを感じ、漆羽は一つ浅く息をした。それからゆっくりと目を開き、目の前の女を見つめた。
「漆羽洋児という。三年前からあんたの旦那に護衛してもらってた者だ」
瞬間、女の顔が硬く強張った。
「……お名前も顔も、聞いたことも見たこともあります。戦争で活躍されたんですよね」
神奈備の関係者がいるのに、夫本人はこの場にいない。その意味を、彼女は即座に理解していた。それでも受け止めきることが出来ず、漆羽の宣告を引き延ばそうと話を続けようとしている。震える細い声を沈痛な思いで聞きながら、漆羽はまた口を開いた。
「何もお構いできず、すみません」
「いや、こっちが急に訪ねてきたのが悪かったから」
玄関でいいと固辞する漆羽を、女は自宅へと招き入れた。出された茶を恐縮しながら受け取って、漆羽は家の中を見回した。写真が、たくさん飾ってある。最初にそう思った。
漆羽のよく知る方の伏見──女の、夫。笑い合う二人の写真が、何枚もリビングにあった。漆羽が知っている姿よりも若い写真も多くある。
十一月終わり、少し冷え込む頃。漆羽は、伏見が慚箱勤務となる前住んでいた家へと訪ねていた。
慚箱で暮らすことは、それまでの暮らしを失うことを意味する。漆羽はもちろんだが、神奈備の精鋭の面々もそれは変わりない。伏見が結婚していることを知ったのは、漆羽が国獄温泉で暮らし始めてからしばらく経ってからだった。
彼女は、神奈備の職員ではないと聞いていた。高校の同級生で、もう長い付き合いだと。だから、慚箱での任務についても詳しく話すことは出来ず、ただどれだけ長くなるかも分からない駐在任務だと説明したと伏見は言っていた。
「ずっと、覚悟はしていたんです」
真っ赤な目をしたまま、漆羽の向かいに座った女はそう言った。
「危険な仕事だとは分かってたから。駐在に行く前から、あの人が働いている日の夜は電話が鳴るのが怖かった……。神奈備からの連絡だったらどうしよう、って」
いつ何があってもおかしくない仕事だ。現場にいる者が大変なのはもちろんだが、その家族も常に心労を抱えている。大切な人が無事家に帰ってくるか、毎日怯えながら過ごすのだ。置いて行かれる側の気持ちは自分ではきっと完全には理解できないだろう。そう、漆羽は思っていた。
「でも彼、強いから。いつか、ひょっこり帰ってきてくれるんじゃないかと思ってたんです。なんにも無かったみたいに、いつもの夜勤明けみたいに『ただいま』って」
話す内にまたその目から涙がこぼれ落ちる。持っていたハンカチでそれを拭いながら、彼女は漆羽の持ってきた、伏見の私物の入った箱の蓋を撫でた。
「……わざわざ来てくれて、ありがとうございます。郵送だって良かったのに」
「ちゃんと会って、話したかったんだ」
恨まれて、怒声や罵声を吐かれてもおかしくない。それを受け止めたいと思うことすら自己満足なのかもしれないと思ったが、それでも漆羽は会いに行った。けれど、彼女は泣きながらも微笑んだ。
「良かったら、三年間のこと、教えてもらえませんか?」
「!」
「漆羽さん、いい人そうだから。きっと夫も、三年一緒に暮らせて楽しかったと思います」
気丈に振る舞う姿を、その夫はもう見ることが出来ない。元気に笑う夫の姿も、その妻はもう見ることがない。けれど遺された者同士、記憶を共有することは出来る。確かな痛みを感じながらも漆羽は眉を下げて少しだけ笑い、また口を開いた。