箱庭には降らない話
単行本4巻未収録分キャラクタ-、本誌(46話以降)ネタバレ注意
※捏造、妄想だらけ
「、風呂出たぞ」
聞き慣れた声が背中にかかる。
「あ、漆羽さん! はーい」
振り向いて笑いかけると、漆羽さんは軽く手を上げた。
国獄温泉には男湯・女湯の区別がない。観光客が来るような場所ではないからだ。だから、私はいつも男性陣の入浴とは前後にずらして温泉に入っている。警備が交代制なこともあって、好きな時間に入ることはできない。男性陣1、男性陣2、そして。それぞれが被らない時間帯に、交互に入る。今日は漆羽さんや彼と一緒に入る人員の後がの番だった。の後は、また今警備中の残りの人員が入る。いつもばかりが温泉を貸し切りで堪能するのも申し訳ないけれど、混浴も困るので仕方ない。
お風呂上がりの漆羽さんは髪を解いていた。緑がかった黒髪が重たく束になっていて、まだ乾かされていないのが分かる。夕暮れの風に揺れて、その髪が時折鋭い目元と隈取りを隠していた。毎日見てる姿なのだけれど、やっぱりかっこいいな、とこっそり思った。
仕事仲間のようなものだし、特殊な環境下のこともあるし、漆羽さんが好きだとあからさまに態度には出さずに過ごしている。だからといって、全く気づかれないよう振る舞っているわけでもない。それくらいの温度と距離を保って接しているけれど、もしかすると本人に気づかれているかもな、と思う時はあった。目線とか、態度とか、ちょっとしたやりとりで。
漆羽さんは漆羽さんで、自分たちの間には何も起きえないときっぱり示すこともなく、だからといって気を持たせるようなこともしない。たちの間にある空気は常に凪いでいた。ただ、自分の風呂がの前の番である時はいつも他の仲間ではなく彼が告げに来てくれるし、よく話もする。だから、きっと嫌われてはいないのだと思う。特別好かれているわけでもないだろうけれど。
何かあっても任務の迷惑になるだろうし、思いを告げる気なんて微塵も無い。こうして、近くに居られるだけで十分だ。そう思いながらは日々を過ごしている。
が持っていた携帯に目をやって、彼は首を傾げた。
「業務連絡か?」
「ううん、本部の同期が頼んでた買い物してくれたって連絡くれたの。今度こっち来る時渡してくれるって」
漆羽さん程ではないとはいえ、慚箱に配置されている人員はそこまで自由に動けない。外に出るのは必要な買い出しの時だけだし、それも出来るだけ近くで済ませている。だから何か欲しいものがあった時は、東京の本部にいる同僚に頼んでいるのだ。
やったね、とメールの文面を見せると、漆羽さんはなんともいえない顔をしてを見つめた。
「……お前、長生きしろよ。いつか慚箱出て、色んなもん見るまで生きないとダメだぞ」
「なにそれ! 漆羽さんがそれ言う?」
神奈備に入った時点で、畳の上で死ねるなんて思ってない。悪人相手とはいえ人を殺してきたし、自分もいつか殺されると思っている。漆羽さんも含めて、国獄にはそういう人間しかいない。
それに加えて、妖刀の契約者の命は、のような人間のそれとは全く重みが違う。は漆羽さんを命に代えても守るためにこの場所の警護をしているのだ。守護者が被守護者に心配されてちゃ世話ない。笑うに漆羽さんは口ごもった。
「俺はもう……」
その先は沈黙が埋めた。絞りかすだ、とか、生きてんだか死んでんだか分からない、とか。そんな言葉が続く気がする。けれど、流石に自分の護衛をしているに失礼だと思って音にはしなかったんだろう。そういう、配慮ができるところも好きだった。
漆羽さんは、本当は自分の為に何かされるよりも、誰かの為に何かをする方が向いている人なんだと思う。だって、彼がする六平国重の話はいつも熱が込もっている。
三年前に初めて会った時──六平国重の訃報を聞かせた時から今に至るまで、漆羽さんはずーっとどこか覇気のない顔をしている。そこまで尊敬していた人が亡くなっただけでなく、戦場に立つ立場であった自分が今はただ守られる側であることも、彼が無気力な様を見せる理由なのだと思う。より年上とはいえまだ若いのに、きっと余生を過ごしているみたいな気分なのだ。毎日妖術や体術を磨きつつ警護をしているでさえ単調な日々だと感じるのだから、彼の鬱屈は想像に難くなかった。
いつも六平国重や昔の話をする時みたいに生き生きした漆羽さんが見たくないわけではないけれど、それは同時に何かが国獄に起きて危険になることを意味する。それはダメだ。
単調で退屈であろうと、戦時中に命を賭けた彼が平和にずっと生きてくれればいい。そう思っていた。
「じゃなくて漆羽さんが長生きしなきゃ」
「一緒に長生きすりゃいいだろ」
一瞬、息を詰めた。色々聞きたくなってしまうような、期待したくなってしまうような。まったくそんな意図が無いとしても片思いの身には甘酸っぱく聞こえる言葉だ。
思わず彼の方を見ると明らかに「しまった」という顔をしていて、ズドンと心臓が落ち込んだ。
やっぱり、そんなつもりの言葉じゃなかったんだ。すこし言葉選びを間違えてしまっただけ。そして、が漆羽さんのことを好きなのも気づいているから勘違いさせてしまうかも、と焦っている。切羽詰まった顔からそんな心運び全てが読み取れて、は慌てて口を開いた。
「大丈夫だよ、」
「くそ、何も約束できないから言うつもり無かったんだけどな」
「は?」
勘違いなんてしないから。そう続けるつもりだったのに、漆羽さんの言葉を聞いて疑問符が口からこぼれ出た。
「俺は一生ここに居るかもしれないし、はどっか違う所に異動する可能性だってあるだろ。なんかあっても責任取れないから」
「え、え? もし責任取れるなら、取るような関係になってくれるの?」
「は?」
漆羽さんは「なんかコイツもさもさ言ってんな」みたいな顔をしてを見つめた。
「付き合ったらそうなるだろ。付き合えないけどな」
ぽかんと口を開けて、今のは相当間抜けな顔をしているだろう。対して漆羽さんは何を今更と言いたげな表情だった。もしかして彼としてはずっとと両思いで、なおかつがそれに気づいているという認識だったんだろうか。いや、漆羽さんがのことを好きでいてくれるなら半分は間違ってないんだけれども。
「の気持ちがバレてるかなとは思ってたけど、漆羽さんがのこと気にしてくれてるって知らなかった……」
「は!?」
今度は漆羽さんが口を大きく開いた。隈取りされた目が驚愕に見開かれる。というか、言外に引かれていた。
ありえないとでも言いたげな表情に言い訳が口をつく。
「え~…え~~だって漆羽さん何も言わないし、してこなかったじゃん……」
この三年間、自分以外の女性が周りにほとんど居なかったから、漆羽さんの態度を比べる相手もいなかった。もしかしたら彼としては相当分かりやすく接していたのかもしれないけど、に知る由もない。
「そりゃ付き合う気無いのになんかしても不誠実だろ」
当たり前みたいな顔で言う。それは、確かに。誠実でいたいからこその態度だと思うと歯痒いけれど、そういう所もやっぱり好きだ。
深く深くため息をつくの横に立つ漆羽さんはさっきよりも低い声で言った。
「……なんにせよ、さっき言った通り俺は何もできないし、しないぞ。少なくともこの状況が続く限りは。それが嫌ならこんな男、やめた方が良い」
「うん。やめない」
今度は漆羽さんがため息をついた。呆れているのかもしれない。
「骨を埋める覚悟でこの仕事に就いたら、心臓をあげたい人まで見つかったんだよ? 、物凄く幸福だと思うけどな」
「……馬鹿だな」
水が注がれるかも分からない鉢植えを持ってずっと待っているは、確かに馬鹿なのかもしれない。けれど種を植えたのは漆羽さんなのだから、彼だって馬鹿じゃないかと思うのだ。
「違う形で出会ってたら良かったのかなぁ」
「……さあな」
すぐ隣に居るのに、手を握ってもくれない。それでも彼の体温が感じられる近さに居られるだけで幸せになれるのだから、我ながら安上がりな女だな、と思った。