ぼそぼそしたパスタ

 昼下がり、ほとんど人のいない毘灼アジト。は一人、キッチンに佇んでいた。これから昼食を作るのだ。

「おはよ。あれ、なんか作るところ?」
「おはよ、もう昼だけど。うん、昼ご飯作る」

 自分の部屋にいたらしい昼彦がやってきた。流石についさっき起きたという感じはしなかったけど、なんとなく雰囲気がだらりとしている。今日顔を合わせるのは初めてだし、ずっと部屋でのんびりしていたのかも。
 へえ、と相槌を打ちながらキッチンスペースに色々置かれているのを見て、昼彦は首を傾げた。

って今まで全然料理してなかったよな? なんで急にやる気になったの」

 昼彦の言うとおり、はろくに料理をしない。皆の料理担当になることもないし、昼食も外で済ませるか、作っても袋麺程度だ。不思議がられるのは当然といえば当然だった。

「この前さあ、新しいアジトの結界張るために長期で出たじゃん。毎日近くのコンビニで三食分のご飯買ってたら飽きちゃって」

 チンすれば美味しい料理が手軽に食べられる、それはすごいことだ。でも、毎食それに頼ると段々味気なくなってくる。3週間もすればなんとなく大体のものを一度は食べてしまっていて、冷食特有の濃い味付けにも飽きてしまっていた。

「で、いざという時に自分で自分の好きな物作れるようになりたいなーって思ったの」
「なるほどね」

 納得したように頷いた昼彦は、改めてキッチンに並んだ材料を見た。

「それで何作ろうとしてんの?」
「ペペロンチーノ」

 オリーブオイルとニンニク、唐辛子に麺。シンプルな具材で構成されたパスタだ。「シンプルだからこそ美味しくするのは難しいんじゃないの?」みたいに自分の中で囁く声もしないわけではなかったけれど、無視した。じゃあ沢山具材の入ったものが作れそうかといったら、それはそれでもっと無理そうだったし。
 今は麺を茹でるためのお湯を沸かしている。乾麺の袋に書いてある茹で時間は10分だった。火にかけられた大きな鍋を伺ってから、昼彦はの手元を見た。

「レシピ本は?」
「買ってない」
「え?」
「買ってない」
「え?」
「もっかい繰り返させたら怒るからな」

 だってなんか簡単そうだし、前にやっていた料理番組で見た手順もなんとなく覚えていた。オリーブオイルとニンニクと鷹の爪を火にかけて、茹でたパスタを混ぜたら完成。大体そんな感じだった気がする。多分だけど。分量はオリーブオイル大さじ3杯、ニンニクが一かけ、鷹の爪1本、麺が160グラム。多分。あと塩も。
 あやふやな各材料の量を指折り挙げると昼彦は首を傾げた。

「麺160がこの2束か。結構多いね? お前そんな食べるっけ」
「TVで見たのは確か200グラムで2人分のレシピで……でも、1束80グラムの麺買っちゃったんだよね」

 帰ってきてから、本当なら100グラムで1束のものを買ってこなきゃいけなかったと気づいた。100グラム束で買ってきていれば他の材料の分量も元の(記憶の中のレシピから)2で割れたんだけど、そうもいかない。80グラムだと2.5で割ることになる。ニンニク一かけを半分じゃなくて、半分よりちょっと少なく…までいくと考えるのも面倒になった。

「100グラムで作って微妙な60グラムを残すのも嫌だし、多めに作ることにした。他の材料、あんまり味に影響しなさそうだし」

 所々端折りつつ説明しながら、いいことに気づく。昼彦がいるじゃん。

「てか昼彦が来たから丁度良いじゃん。半分食べてよ」
「え、いいの?」
「うん。多分一人じゃ食べきれないし」

 時間は午後1時。昼彦はいつも起きるのが遅い。朝ご飯を食べるのが遅かったなら、きっと昼ご飯もまだだろうと見てのことだった。急に当てにされたのにちょっと驚いた顔をしながらも、昼彦は頷いた。意外と素直だ。

「じゃあ食べようかな」
「ん。数十分かかるだろうから出来たらまた呼ぶ」

 どっか行ってていいよ、とひらひら手を振ると、昼彦はにやっと笑ってかぶりを振った。

「ここで見てる。なんか面白そうだし」
「……まあ別にいいけど」

 の初心者お料理がエンタメ化されている。見てても楽しくなさそうだけどな。まあ、昼彦ってめちゃくちゃ口数が多いってタイプでもないから邪魔にはならないだろう。

 お湯が沸くのを待つ間に、ニンニクを切らなきゃいけない。まな板の上に小さな一かけを置いて、包丁を手に持つ。そこではたと気づいた。この場合どういう切り方をすればいいのか、は知らない。みじん切り? 薄切り? それともが呼び方すら知らない違う何か? 全然TVで見たニンニクの姿が思い出せない。焦りながら今までお店で食べたことのあるペペロンチーノの記憶を必死に思い返した。麺の間に紛れるニンニクはどんな形をしてただろうか。
 ……薄切り……うん、多分薄切りな気がする。多分。みじん切りってほど細かくなくて、割とこう、見えやすい形だった。うん、自信が出てきた。薄切りでいきましょう。

「どうかした? 大丈夫か」
「あ、うん。大丈夫」

 包丁を持ったまま固まっていたせいで怪訝に思ったらしい昼彦が声をかけてくるのに頭を振って、もう一度ちゃんと包丁を握り直した。薄切りにします。
 根元を切り落として、皮をむいて。左手を猫の手にして、数ミリくらいの厚さに切っていく。小さいからあっという間に終わる。
 鍋の蓋を開けて覗いてみるともうお湯が沸騰していたので、麺を束ねていた謎の紙? プラスチック? みたいな何かを取ってお湯に2束投入した。

「あれ、タイマーってどこだ」

 10分測らなきゃいけないことに茹で始めてから気づいて辺りを見回すも、タイマーは見当たらない。いや、あるのかもしれないけど、はどこにあるか知らない。どうしようか、と思った所でこっちを見ていた昼彦と目が合った。

「昼彦、10分のタイマーかけて!」
「分かった」
「ありがと」

 頷いて、昼彦はズボンのポケットから取り出したケータイをポチポチと操作した。一人だったらもっと焦ってたかも。見学人がいて助かった。
 さて、今度はフライパンにオリーブオイルとニンニクと唐辛子――鷹の爪を入れないと。鷹の爪はまあ、輪切りでいいだろう。オリーブオイルの量は……計量スプーンがどこにあるか知らない。今回は目分量でいいや、なんて思いながらエクストラバージンオリーブオイルの瓶を持ってとぽぽ、とフライパンに注いだ。雑に切った鷹の爪を種も一緒に入れて、最後にニンニクを加えてコンロの火を付ける。少ししたらオリーブオイルがぷくぷくと泡だって、いい匂いが漂ってきた。じゅわじゅわと心地の良い音をさせるフライパンを眺めていたら、段々とニンニクが色づいてくる。きつね色ってやつだ。
……これって、どこまで火を通せばいいのかな。多分、焦がしたらダメな気がする。というかこれ、もしかして火が大きい? フライパンの下を覗いてみると強火っぽくなっていた。まったく詳しくないけど、弱火でじっくり……みたいな手順が書かれていた時は、「強火にしたら短時間で済むじゃん!」って変換してはいけない、と聞いたことがある気がする。確かに、結界を張る時だって、時には時間をかけて入念な準備をする必要がある。一日で仕上げようとしたってどうしようもない時があるのだ。多分、料理も同じはず。そう思って、一番火を小さくした。どうか合っていますように。
 さっきより音が静かになったフライパンを見守りつつ鍋に目をやると、ぐつぐつと沸騰しつつ黄色いパスタがゆらゆらと揺れていた。いい感じだ。

「昼彦、タイマーあと何分?」
「あと5分」

 結構時間がある。その間にもう使わないものは洗っちゃおうかな。包丁とまな板を手早く洗って、水切り場に置く。そもそも洗い物が少なくて楽だ。
 ……なんだか、すごく順調だ。、結界術だけじゃなくて料理の才能もあるのかもしれない。天才じゃん。天はに二物を与えたのかも。
 いい気分でそう思っていると、フライパンを見守っている昼彦の声が聞こえた。

「ねー、これって焦げてない?」
「えっ?」

 急いでコンロの方――数歩の距離だけど――に戻ると、確かに少し焦げ臭い匂いがする。フライパンの中ではさっきまで綺麗な色をしていたニンニクが黒くなり始めていた。

「うわ、ほんとだ! 一回火止めるか」

 小さいからかあっという間に火が通る。最初に強火にしてたのが良くなかったのかな。それに麺の茹で時間に対して、火にかけるのが早すぎたかも。難しい。

「昼彦のお陰で焦げすぎないで済んだわ。ありがと」
「どういたしまして。タイマーはあと2分」
「もうすぐじゃん!」

 麺を湯切りするにはざるが必要だ。フライパンの近くにあった気がするな、と思いながらキッチンの下の収納棚を探すとちゃんと見つかった。シンクにざるを置いて、もう使わないオリーブオイルの瓶と鷹の爪の小さなパックをざるがあったのとは別の棚にしまう。その途中で計量スプーンも見つけた。あるじゃん。意識して見ないと気づかないものだなあ。今度は色んな道具を事前に出しておいてから料理を始めようと決意したところでピピピと電子音が聞こえた。10分経ったのだ。
 鍋の火を止めて、ざるへと中身をあける。もうもうと湯気が立ち上って、顔にまで熱気が届いた。さて、今度はこの麺をフライパンに入れないと。

「あっつ!」
「何やってんの」

 ざるの端を持ってみたら思っていた数倍熱くて、勢いよく手を離した。金属だから熱がすぐ伝わるのも当たり前か。察しのいい昼彦が呆れた顔をしつつもミトンを渡してくれたから、今度はそれを手に付けてざるを持った。ありがとう、見学人。
 何度か上下に振って水を切り、フライパンのある方へと移動する。一気に麺を投入して、塩も加えて。菜箸で全体を和えている最中に気づいた。
「あっ、火消してたんだった」

 いや、もうニンニクに火は通ったんだし今更付けなくてもいいのかな? でも、数分間止めていたならオイルが冷めちゃっていそうだし。こういうのは熱々の方が美味しいんじゃないんだろうか。でも、更に火を入れたらもっとニンニクが焦げちゃうかな。分からない、には何も……。
 迷いながらも結局火を付けて、何度か全体を混ぜてからまた火を消した。この短い火入れ、一体全体意味はあったのだろうか。あと、菜箸で麺を混ぜるのって思っていたよりも難しい。ペペロンチーノ、奥が深いじゃないか……。

「皿こっち」
「お! 助手君、気が利くじゃん」
「俺、助手だったんだ」

 かなり助けてもらったので見学者から格上げした。出してもらった二枚の皿に半分ずつパスタを盛って、完成だ。様子を見ていた昼彦は拍手してくれた。

「ちゃんと美味しそうじゃん」

 それぞれのお皿を持って、テーブルへと向かう。フライパンと鍋は食べ終わったら洗おう。フォークを出して昼彦と向かい同士に座り、は手を合わせた。

「よし、いただきます」
「いただきまーす」

 一口分をフォークに巻き取って、口に入れる。もぐもぐと咀嚼して、味わう。……これは……。は無言のまま、目の前の男を伺った。ほぼと同じタイミングで、喉仏が上下する。

「……」
「……いいよ昼彦、言っていいよ」
「……?」
「なんか微妙だね」

 見た目は悪くないのに。フォークを手に持ったままぽつりと零すと、昼彦は首を傾げた。

「そう?」
「なんか……ぼそぼそしてる。あと思ったより辛くない?」

 食べられないってほどじゃない。塩加減もまあ、悪くない。でも、店でこれが出てきたら二度と来ない。そんな感じの味だった。
 なんでだろう? なんだか麺が美味しくない。ちゃんとオリーブオイルは入れたのに、どこかパサパサというか、ぼそぼそというか。でも同時に、油っぽい。多分これ以上オリーブオイルを入れても駄目な感じだ。そして、何よりちょっと伸びている。ちゃんと時間通りに茹でたのにな。

「戻った。……お前達で作ったのか?」
「あ、幽」

 の後ろを見て昼彦が声を上げるのに振り返ると、いつも通りスーツ姿の幽がいた。達の前にある皿を一瞥してから、キッチンの方に目をやっていた。後でちゃんと洗います。

が作ってくれた」

 一口食べて明らかにペースが落ちたとは違い、昼彦はもりもり食べ進めている。

「なんかね……あんまり美味しく出来なかった」
「一口もらえるか?」

 頷いてフォークを渡すと、幽は屈んでの皿からパスタを巻き取る。口にして咀嚼して、数秒。静かにフォークをに返し、幽は言った。

「乳化ができていない」
「にゅうか……なんか聞いたことあるような、ないような……」

 もしかしたら、料理番組でも言ってたかも。遠い記憶を思い出そうと目を細めるに、幽は続けた。

「ドレッシングを使う前、分離した油分と水分を一緒にするためよく混ぜるだろう。それと同じ事を、パスタを作る際にもしないといけない。そうしないとソースと麺が上手く混ざらず、今回のように油っぽくなる」
「どうやってやるの?」
「麺を入れる少し前に、フライパンにパスタのゆで汁を加えてオイルと混ぜるんだ」
「そんな工程が……!?」

 幽は「パスタを入れてからやるんでもいいが」とか続けていたけど、何にせよがどのタイミングでも乳化をしなかったのは確かだ。なるほど、麺にちゃんと油分が絡んでいないから美味しくないわけだ。

「あとね、時間通り茹でたのになんか伸びてる」
「フライパンで和える時間を考えないといけない。鍋では本来の茹で時間より1分ほど短く茹でるんだ」
「はっ、なるほど……!」

 言われてみれば、簡単な話なのに。全く考えもしなかった。衝撃を受けるとは対照的に、昼彦は「伸びてるか?」と言いながらどんどん食べている。

「色々教えてくれてありがと。もっといらない?」

 全部自分で食べることを考えると気が重くなってまた幽にフォークを渡そうとすると、曖昧な笑顔で一歩後ろに下がられた。もういいらしい。

「それから、辛いのが苦手なら唐辛子の種は次回から取り除くといい。種の周りに辛味成分が付いている」
「だから辛かったんだ……」

 辛さについては何も言ってないのに。種が入ってることに気づいたのかな。
 作り始める時に幽がいたらなあ。そんな事を思いながら彼が自室の方に向かう姿を見送って、は残ったパスタをまた食べ始めた。まあ、これも良い経験かもしれない。失敗したからこそ、次回に気をつけなきゃいけない点を覚えられたし。

「昼彦、全部食べなくてもいいよ。残したらが食べるから」
「そんな悪くないけどな。全然いけるし、全部食べるよ」

 そう言う昼彦の皿はもう既にほとんど空になっていた。

「……ありがと」
が作ったのに?」

……コイツ、結構いい奴だな。まあまあ長い付き合いだけど、今更そんな事を思う。

「次回はちゃんとレシピ見て作る」
「それは本当にそうした方がいい」

 早々に食べ終わった昼彦はが完食するのを待って、更には洗い物も手伝ってくれた。お喋りしながら並んで鍋を洗いつつ、は昼彦に対する評価をかなり上げたのだった。

2025.11.13