妙な匂いのカレーライス

「あ、またやってる」

 微妙なペペロンチーノを作ってから一週間。はまた、自炊に挑戦しようとしていた。今回は昼食じゃなくて、夕食。そして偶然、前回と同じように昼彦がキッチンにやってきた。

「今回は何作るでしょうか。当ててみて」

 並んだ食材を見て、昼彦は何度か瞬きした。ジャガイモ、人参、玉葱にお肉。

「カレー?」
「正解!」

 冷蔵庫に入れてあったカレールーを取り出して掲げる。結構前に誰か(確か北兜)がカレーを作ったから、封を開けたものが残っていたのだ。

「これは流石にねえ、大丈夫だと思いたいよ」
「自信ありか」
「うん。なんてったって、今回はルーの箱にレシピが書いてあるからね」

 なんて有り難いんだろう。みたいな適当人間にもめちゃくちゃ優しい仕様じゃないか。結局、はまだ一冊も料理本を手に入れていない。どうにかこのまま買わずにいけないかな、って正直思っている。
 箱に書いてある手順によると、最初に具材を炒めて、その後水を足し、ルーを入れて煮込んだら完成らしい。もう少し細かく書いてありもするけど、大体そんな感じだ。

「昼彦も食べる? 7時前にはできると思う」
「もらおうかな」
「よしきた」

 使いかけのルーの箱には1パックが未開封で入っていた。元々2パック入りのものだから、前回1パックまるごと使ったんだろう。蓋を開けると6分割の割れ目が入っていた。1パック使うと6皿分できるので、と昼彦だったら2かけ使って2皿分にすればいいのだけど……今回は流石に失敗しないと思うし、カレーっておかわりしたくなったりもする。だから、今回は1パックそのまま使うことにした。事前に箱を見て用意した野菜や肉も、1パックで作る時の分にしたし。
 昼彦が来る前に野菜の皮はむいて肉と一緒に切ってあったから、次は鍋に入れて炒めるところだ。この前、パスタを沸かす時に使ったのと同じ大鍋にサラダ油(大さじ2)を注ぐを見て、昼彦は口を開いた。

「もうご飯って炊いたの?」
「あっ、そろそろ浸水終わる時間だ。あぶな」

 指摘のお陰で大体30分前に水に浸けておいた白米の存在を思い出せた。急いで炊飯器に米と水、そして一緒に浸水していたスパイスを入れる。そのスパイスを見て、昼彦は首を傾げた。

「なんか赤いの入ってる? 何これ」
「サフラン。調味料準備してたら見つけたから、サフランライスにしてみようかなって思って」
「あー、あの黄色いやつね」

 そうそう、あの黄色いご飯。今回カレーはちゃんとレシピ通りに大人しく作る分、ご飯はちょっと豪華にしたいな、なんて思ったのだ。どれくらい入れればいいかは分からなかったので、適当にだけど。ものすごく細い糸みたいなものだったから、ちゃんと香りがつくか分からなくて結構入れた。蓋を閉じて、ボタンを押す。炊き上がるのが楽しみだ。

 さて、これでカレー作りに戻れる。コンロの火を付けてサラダ油が温まるのを少し待ってから、野菜と肉を投入した。

「にしてもさあ、この前本当によくあの微妙ペペロンチーノ全部食べてくれたね」

 は作った者の責任として全部食べたけど、昼彦は何度も言ったとおり残してくれて良かったのに。食べ進めるとニンニクもやっぱり焦げていて苦かったし、沢山反省点があった。それでも昼彦は、文句一つも言わずに全部平らげてくれた。

「まあ、そんな悪くなかったし」

 平然と言う姿にちょっとだけ気恥ずかしくなる。

「ありがと」

 前回はコイツ優しいじゃん……なんて思っていた。けれど少し考えて、そういえば昼彦って幽と出会う前は大変だったんだっけ、と思い出した。これ、多分優しいのではなく、「食べられるご飯」のハードルが異様に低いのだろう。まあ、それでも今はいつもまともな美味しいご飯を食べているのだから、の微妙飯を大人しく食べてくれたのはなんにせよ有り難いことだった。今回はちゃんとできた、普通のカレーを一緒に食べたいものだ。

「カレーのルーってすっごく色んな種類があるな、ってスーパーの棚見てて思った。昼彦って辛いの好きだったっけ?」

 今回は冷蔵庫にあった中辛をそのまま使っている。次回は違うルーを試してみてもいいな、なんて思いながら聞くと、昼彦は曖昧に首を振った。

「辛すぎるのはあんまり得意じゃないけどなー。でも普通に食えるよ」
「あ、も同じ感じ」

 あんまり辛いものを進んで食べているイメージはなかったけど、やっぱりそうだったようだ。ちなみに斗斗ちゃんはかなりの辛党で、時々も気まぐれに激辛料理を出す店に行くのに付き合ったりもしている。次の日は胃が荒れまくるけど、たまには悪くない。

「今度は違うメーカーの中辛ルー買ってこようかな。結構味も違うのかもね」
「そしたらまた食わせてよ」
「えー、その時は昼彦が作って」

「無理無理。俺、料理なんて絶対向いてないから」

も別に向いてるわけじゃないんだけど!」

 も昼彦と同じ感覚派で、教本や手本をじっくり見て手順通りに物事を進めるより閃きや思いつきで自分流にやる方がずっと得意だ。自分のそういう所が気に入ってもいるし。

 軽口をたたき合っている間に玉葱がしんなりしてきたので、水とはちみつを加える。これも今回は先に必要量を測って用意しておいた。分かっていても、結構沢山入れるんだな、とびっくりする。これ、最終的にカレーがシャバシャバになってしまわないのかな、なんて水に浮かぶ人参やじゃがいもを見て少しだけ心配になる。いや、でもここで勝手に量を減らしたりするときっと後で困るんだろう。みたいな超初心者ではなく、プロが考えたレシピなんだから、従うのが正しいはずだ。そう自分に言い聞かせた。
 水とはちみつを加えたら、あくを取りながら煮込む。煮込み時間は、沸騰してから20分くらい。加えた水が沸騰するのを見届けてからタイマーを20分にセットして――前回は気づかなかったけど冷蔵庫にマグネット付きタイマーが貼ってあった――、また鍋の中身を見守る。あくってそんなに出るのかな?と思ったけど、灰色のもわもわが浮かんでいた。今回はちゃんとキッチンを捜索しておいたお陰で、お玉も用意済みだ。せっせと掬っては捨て、掬っては捨てを繰り返す。

 ……順調だ。いや、前回も同じ事を思っていながら振るわない結果となったんだけど。でも、今回こそ本当に順調な感じがする。レシピ通りの分量を用意して、レシピ通りの手順で進めて、ご飯も用意している。今回美味しくできたら、かなり自信がつくかも。また違う料理に挑戦しよう、と思えそうだ。昼彦からも「全然いける」みたいな言葉ではなく、「美味しい」を引き出せるかもしれない。というか、不味かったら本当に困る。今、6皿分作ってるんだから。不味い料理6人前って、かなり絶望する言葉なので。

「前にここで北兜がカレー作った時、確か牛肉だったよな。今回も牛?」

 いつの間にかキッチンカウンターの向かいからの隣へと移動してきていた昼彦が、ぐつぐつと煮える鍋を覗き込んだ。

「あー、そういえばそうだったっけ。も牛肉にしたけど、北兜が作ってくれたのとは部位が違うね」
「ふーん」

 確かあの時は四角いゴロゴロした角切り肉だった。今回が使っているのは牛の切り落とし。近くのスーパーでセールしていたからだ。

「昼彦はカレー、何肉派?」
「あんまり拘りないな。なんでも美味しいじゃん」
「分かる」

 作る側としても助かる答えだ。これで今更「俺、鶏派なんだよね」とか偉そうに言われたらブチ切れてたかもしれない。それにしても、カレーって何のお肉を使っても美味しいのがいいところだな。

「この前さあ、近所にレストランできたじゃん。幽があそこのカレー美味しいって言ってて」

 幽は結構食通というか、グルメだ。のペペロンチーノを一口食べてフォークを置いたのも、まあ仕方ないってくらいの。食事だけじゃなくて飲み物――コーヒーとか紅茶も拘っていて、共用の物と自分用の茶葉や豆を分けている。だから、幽の美味しいというお店はかなり期待できる。はまだその新しいレストランに行ってはいないけど、きっと本当に美味しいんだろうな、と思っていた。

「最初は『じゃあそのお店に行ってみようかな』って思ったんだけど、その後に『せっかく料理を頑張ろうとしてるんだから自分で作ってみるか』って考え直したの」
「へえ、そういうわけでカレーなんだ」
「うん」

 は市販のルーを使っている。自分なりのアレンジを加えたりもせず、どこまでも普通なカレーを作ろうとしている。プロの作るカレー、それも幽が認めるような味とは比べものにならないだろう。でも、何かを食べたいと思った時に「じゃあ作るか」って選択肢が咄嗟に浮かぶのは、ちょっと楽しそうだな、って思ったのだ。

「ま、それはそれとしてレストランには行きたいけど」

 美味しいご飯はいつだって大歓迎。流石に明日明後日といったすぐでなくていいけど、我らが頭領お墨付きのお店には行きたいものだ。

「じゃあ来週か再来週辺りに行こうよ。俺も気になるし」
「いいね」

 カレーを作ってる最中なのに、もう違うカレーを食べる話をしてる。なんか変なの。おかしくなりながら、はまた浮かんできたあくを取った。

「店といえばさ、この前斗斗さんと久々李と一緒に行った蕎麦屋、旨かった」
「いいなー。お店のお蕎麦って美味しいよね」
「そこの店、カレーも旨いらしい」
「またカレーに戻ってくんのかい」

 確かにお蕎麦屋さんってカレーを出すところが多いけど、あれはなんでなんだろう。それにルーを使った家カレーとは味が違う気もする。出汁を使ってるんだろうか。料理をしないにはよく分からないから、また今度幽にでも聞いてみよう。
 話している内に大きな甲高い音が鳴り響いて、火を止める。もう30分も経ったことに驚きつつタイマーを止めに行こうとしたら、昼彦が止めてくれた。さすが助手じゃないか。

「次は何すんの?」

「ルーを入れるよ」

 プラスチックの容器を開けてルーを取り出すと、途端にカレーの匂いが溢れ出した。これこれ! カレーの匂いって、本当に独特だ。全てを自分の色に染める強さを持っている。板チョコみたいなそれを4つに折って、鍋の中に落とした。

 ここまで来たらあと一息。今度は弱火で10分ほど煮込んだら、それでもう完成だ。

「ご飯はあと何分になってる?」

 ルーの入っていた箱と容器をゴミ箱に捨てながら聞くと、昼彦は炊飯器の液晶ディスプレイを覗き込んだ。

「えーと……あと13分」
「ちょうどいいね」

 無事カレーと同じタイミングで出来上がりそうだ。10分も13分も変わらないし、ご飯が炊き上がるのと一緒にカレーも完成ってことでいいだろう。黄色く良い香りに炊き上がったサフランライスを思い浮かべて、テンションも上がる。鼻歌でも歌いそうな気分になりながら、はまた鍋の前へと戻った。ときどき全体をかき混ぜて、焦げ付かないよう気をつけないといけない。

「あー、カレーの匂いしてきた」

 段々とルーが溶け出して、キッチン一帯にいい匂いが漂う。昼彦の言葉にも頷いた。

「あとちょっとで出来るよ」

 そういえば、この前北兜は炊飯器じゃなくて圧力鍋でご飯を炊いてたっけ。炊飯器より美味しいって幽と北兜と久々李は力説してたけど、ボタンを押すだけの炊飯器と違ってなんかやることが多くて難しそうで、はやめておいた。爆発とかしたら怒られるし。そういう人間の為に(かは知らないけど)炊飯器も置いてあってよかった。
 次回は北兜に使い方を聞いて試してみようかな、なんて思ってかき混ぜているの隣に昼彦が並んで、犬か猫みたいにひくひくと鼻を動かした。カレーの匂い、嗅ぎたくなるよね。

「明日は、ちょっと遠出して結界張りに行くんだけど、昼彦はなんかあるの?」
「俺も明日は出るけど、つまんないことばっか。早く派手に動きたいのにな」
「まあ今は準備期間でしょ」

 幽は細部まで計画を作り込む。ほつれが無いように。漏れがないように。もし異常事態が発生したとしても、それすら計画の一部に取り込むような二重三重の策を用意している。そのためには、どうしたって下準備が重要だ。今は、絵を作り込む時期なのだ。でも、昼彦の気持ちも分からないでもない。昼彦と違って戦闘要員ではないけれど、も自分の得意な結界術を存分に使うのは大好きだ。

も早く神奈備本部の結界を近くでじっくり見て味わって、綺麗に壊したいなー。多分、六平国重の所よりもっとすごい結界だよ」
「暴れたいよな」

 うんうんと頷きあって、またはお玉でカレーをかき回した。きっと他の皆も同じ気持ちだろう。

 少しして、さっきのタイマーとはまた少し違う電子音がキッチンに響く。炊飯器の炊き上がった合図だ。

「炊けた……ってことは、カレーも完成です!」
「おお」

 この前パスタが出来た時みたいに、昼彦はまたパチパチと拍手した。どうもどうも。

「よし、ご飯にしゃもじ入れるから昼彦はお皿……を……」

 言いながら炊飯器の蓋を開け、物凄い量の湯気を浴びて異変に気づいた。

「なんかあった? ご飯炊けてない?」
「……炊けてるけど……」

 尻すぼみになりながら、もごもごと呟いた。サフランの匂いが、明らかに強すぎる。これは、もしかしなくても……。

「うわ、やっぱ黄色いな。あと変わった匂いする。サフランライスってこういう匂いだっけ」

 忘れてた、と続けた昼彦は多分、忘れてたわけじゃない。間違ってもいない。これは、きっと。

「入れすぎた……かも……」

 サフランを。ぽつりと言った言葉に、昼彦は食器棚からお皿を取り出しつつ首を傾げた。

「そうなの? でもカレーあるんだし、どうにかなるんじゃない」
「そうなるといいなぁ……」

 強いカレーの味が、なんとかサフラン香りすぎライスを抑えてくれますように。そう祈りながら、はようやく炊飯器にしゃもじを入れて、ご飯をほぐした。


「さて……食べますか……」
「テンション低いって」

 カレーと黄色濃いめライスをお皿によそって――怖いのでライスは少なめにした――、スプーンを用意して。ついでにインスタントのスープも作った。昼彦はたまごスープ、はオニオンスープ。お湯を注ぐだけの簡単なやつだ。サラダは無い。全然そういう彩りや栄養に気が回っていなかった。

 突っ込まれて、はため息をついた。

「だって今回こそは平凡だけど完璧になると思ってたのにさぁ……こんなの罠じゃん……」
「罠も何も自分で入れたんだろ」
「あぁ? うるせーなぁ!?」
「出た、の逆ギレ! もっと段階踏んでキレろよ」

 軽く受け流されてイライラしながらもはスプーンを手に取った。昼彦はまたものせいで失敗ご飯を食べようとしてるから、これ以上キレにくい。

「いただきます……」
「いただきます」

 迷った挙げ句、カレーから食べることにした。なんだかんだ頑張ったんだし、美味しいと思われるものから食べたい。苦しむのは後がいい。じゃがいもとルーを掬って、口に含む。

「……普通のカレーだ……」

 本当に、どこまでも普通のカレーだった。シャバシャバでもドロドロすぎでもなくて、ちょうど良いとろみで、甘すぎも辛すぎもしない。味も濃すぎたりしなくて、本当に何の変哲も無いカレーだった。

「うん、旨いよ」
「……ありがと」

 つまりは昼彦の言うとおり、ちゃんと美味しかった。ただそれでも、隣から漂ってくるサフランの匂いの存在感は消えていなかった。カレーの強い匂いでもかき消されていないんだから相当強い。でもいつまでも避けていられない。カレーを食べると、ご飯が食べたくなる。当たり前だ。覚悟を決めて、は肉と共にサフランライスを口に運んだ。

「うーん……なんかやっぱり妙な味する」

 炊き加減自体は悪くない。ベチャベチャしてたりも、硬すぎたりパサついてたりもしない。幽のお陰でお米自体はいいものだし。でも、やっぱり香りが味に与える影響は、食感よりもずっと大きい。隠しきれない強すぎる匂いが、カレー全体を覆ってしまっていた。どこか香水っぽいというか、香料っぽいというか。ほんの少しだったらそれこそ「スパイス」になるはずの存在が、妙な甘さを鼻に届けて違和感を作り出していた。

「これ、ちょっとのライスに対して相当たくさんのカレー食べないと大分匂いが気になりそう。はー、失敗したな」

 昼彦はどんな感じかな、と思って向かいを見ると、既に結構食べていた。

「えっ、早」
「確かになんか変わった匂いするけど、まあいける」 

 強がっている様子は無い。ただ当たり前みたいに、いつもの食事みたいに着々と食べ進めている。カレーばっかり減ってご飯は減ってない、みたいなこともなくて、どっちも均等に食べてるみたいだった。……も文句言わずに食べるかぁ。
 スプーンを握り直して、また一口。今度はお肉と人参。切り落とし、セール品だったけどちゃんと美味しいな。

「俺、こういうじゃがいもの形がちゃんと残ってるカレーの方が好きだな。時々全部溶けてるやつあるじゃん」
「あー、分かる」

 もう具材は全部ルーに溶けて、旨味もすべて一緒になってるタイプのカレー。あれもあれで悪くないけど、確かにもじゃがいもはゴロゴロしてる方が好きだ。食べ応えがあるし。

、もうちょっと辛くても好きかも。今度は辛口買うか迷うな」
「俺はこれぐらいでいいな」
「そう? じゃあ次も中辛にしようか」

 次回作る時も昼彦がいるか分からないけど、カレーって何日か食べられるものだし。

「……サフランライスもちゃんと消費しなきゃだなぁ」

 たくさんは炊いていなかったからそこまでダメージは大きくないけど、それでもまだお茶碗数杯分は残ってる。この感じだと普通の白米みたいに単品や他の料理と一緒に食べるのはかなりキツそうなのが想像できた。カレーだからこそなんとか耐えられる、って感じの香りだもの。
 あと何食かは香りすぎライスを食べなきゃいけないことを考えてちょっと落ち込みながらも、はまた一口カレーライスを食べた。

 

「はい」
「サフランは高価だ。次回からは数本のみ入れるようにな」
「はい……」

 戻ってきた幽の小言にもしょんぼりしたけど、隣に居た昼彦が「カレー旨かったよ、幽も食べなよ」なんて言うから、ずっと落ち込まないままでいられた。ありがとう、助手君。