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「……送っていくよ」
声が震えないことを、心の底から祈った。
僕の言葉にさんは一瞬固まって、そのあと慌てたように中途半端にあげていた手を振った。柔らかそうな髪が、手の動きに合わせて揺れる。
「いいよ、ここからせいぜい5分くらいだし」
「女の子一人じゃ危ないかもしれないよ」
「でも、」
「ほら、最近不審者とか多いし」
ね、とためらう姿に言いつのるとさんは少し眉を下げて僕を見た。 困ってる。
遠慮するだろうってことは分かってた。こっちは数年ぶりに話しかけたのに、いきなりわざわざ家まで送るなんて言われたら気まずく感じて当たり前だ。
多分さんは今、なんで僕が急にこんな態度を取るようになったのかも理解してない。不審にさえ思われてるかもしれない。今まで僕はずっと彼女を避けていたから。でも僕はもう、前の僕とは違う。ずっと手を伸ばそうとさえしていなかった自分はもう、変わらなきゃいけない。この気持ちをやっと自覚したんだ。今ここで一歩踏み出さないと、ずっと臆病なままだ。
真っ直ぐ目を見つめたままでいると、さんはついに首を縦に振った。
「……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
おずおずと紡がれた言葉に安堵の溜め息をつきたくなるのを、なんとかこらえた。よかった。どこまでも拒否される程は嫌われてないらしい。
それだけで嬉しくて、自然と笑顔になった。
「うん、じゃあ行こう」
僕よりほんのすこし前に出ていたさんの隣にもう一度並ぶ。その時に、彼女の背は僕よりほんの少し高いことに気付いた。もう何年も話していなかったしお互い色々変わったはずだけど、それは昔と同じだ。そんな小さなことが変わっていないことが少し嬉しくもあるけど、同時に昔と同じで縮まらない僕達の距離を表してるみたいだ。
お互いの靴の音がアスファルトに響く。
「……」
沈黙が痛い。 歩き出してから、何を話せばいいのか急に分からなくなった。
そもそも僕は社交的で話すのが得意だ。頭の回転だって速いし。誰が相手でも、何を話せばいいのか困ることなんてそうない。でも、さんじゃ話は別だ。
一番最後にまともに話したのは僕が小学校に上がる前だ。それ以降はこっちが避けてたから会話をしてもほんの短い間だけ。それでも小学生の間は学校が同じだし家が向かい合っているからなんとなく挨拶をしたりはしてたけど、その後さんが黒酢中に入ってからは顔を合わすことさえ少なくなって、僕が中学生になってからは一人暮らしを始めた分お互いを見かけることさえほとんどなくなった。僕が1年の時に、さんはもう高校生だったしね。変に避けてた分、初対面の人より話しにくいかもしれない。さっきほんの少しの間だけどまともに話せたのは勢いでだ。一度途切れてしまったら途端にどうすればいいか分からなくなった。
隣の横顔を盗み見ればさんは気まずさから(だと思う)なんともいえない顔をしていて、申し訳なくなった。僕から送るって言ったのに情けないな……
「輝気くん、ちょっと変わったね」
「えっ?」
突然の言葉。心臓が馬鹿みたいに速く脈を打つ。一人で悶々としている中でかけられた言葉は昔と変わらず、彼女自身と同じ穏やかな響きをまとっていた。
変わったって、どういう意味でだろう。さんはもちろん、僕が超能力を使えるってことを知らない。ずっと会っていなかったから僕が影山と対決したこととか、そういう諸々のことも知らない。(というか当たり前だけどそもそも影山の存在を知らない)だから、僕が精神的に大分変わったことについて言っているとは限らない。
もしかして外見のことだったりするのか?小学生の頃と比べてかなり身長は伸びたし。あと、考えたくないけど……頭のこと。むしろこれが一番分かりやすい変化だ。最初に声かけたとき僕の頭をちょっと見てたし、やっぱりそれについてなんだろうか……
「……どこらへんが?」
意を決して聞くと、さんは僕の方をちらりと見て、首をほんの少し傾げた。
「雰囲気、って言えばいいのかな。が知ってた頃より、落ち着いてる感じがする」
「……落ち着いてる?」
「落ち着いてるというか安定してるというか……上手く言えないけど、そんな感じ」
曖昧でごめん、と苦笑するその姿を見つめて。不思議そうに見返されて、初めて自分が固まっていたことに気付いた。足まで止まってる。
何も知らないはずなのに。僕のことなんか、何も。それなのに、なんで気付いてくれるんだ。
僕の顔から目を外し、また前を向いて歩き続けるその姿にどうしようもなく胸が締め付けられた。胸の中がグルグルしたまま、僕もまた足を動かす。
僕自身が変わっても、関係は昔と何も変わってない。彼女の存在に振り回されるばかりだ。
「あ、もうすぐ着くね」
「!」
いつの間にか僕達の家のすぐ近くまで来ていた。なんだか思ったより随分早く着いたな。立ち止まった僕の方を向いて、さんは軽く頭を下げた。
「送ってくれてありがとう」
「あ、いや僕が好きで送ったんだから」
慌てて言う僕にほんの少し笑って、さんは「それじゃあ」と手をさっきみたいにあげた。
「うん、じゃあね」
僕が手を振ると、さんは前を向いて歩き出した。
さっきと違って、これ以上引き止めることはできない。引き止めたからってまともな会話が出来る自信もないけど。僕とは違う制服を着た背中を見つめて、ため息をついた。
「あっ、」
このまま突っ立っていても仕方ないからと踵を返しかけた時、何かを思い出したようにさんは足を止めて、僕のほうにもう一度振り返った。
「それから輝気くん、今日声かけてくれてありがとう。久しぶりに会えて嬉しかった。よかったら、今度実家に帰るときに声かけてほしいな」
じゃあまたね。
小さく笑ってそう言った姿に、息どころか心臓が止まった。ずるいよ、こんなタイミングでそんなこと言うなんて。
さっきよりもっと速くなった脈を落ち着かせようと無駄な努力をして、口を開いた。
「まっ、また今度!」
また。僕だけじゃなくてさんも、次があることを期待していてくれてる。僕の言葉にさんはもっとにっこり笑って、今度こそ止まらずに歩いていった。
遠ざかる背中を半分放心したように見つめる。馬鹿か僕は、今更頬が熱くなってる。誰が見てるわけでもないのに、恥ずかしくて顔を片手で覆った。
さっき思ったことは訂正しなきゃいけないな。昔と何も変わってないわけじゃない。
そしてきっと、もっともっと変わっていけるはずだ。
2013.10.25